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ドロール委員会 : ミニ英和和英辞書
ドロール委員会[どろーるいいんかい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
委員 : [いいん]
 【名詞】 1. committee member 
委員会 : [いいんかい]
 【名詞】 1. committee meeting 2. committee 
: [いん]
  1. (n,n-suf) member 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

ドロール委員会 : ウィキペディア日本語版
ドロール委員会[どろーるいいんかい]

ドロール委員会(ドロールいいんかい)は、欧州委員会第8代委員長であるジャック・ドロールを首班とする行政体。
ドロール委員会は1985年から1988年、1989年から1992年、1993年から1994年の3期にわたった。そのため歴代欧州委員会の任期としては最長であり、また最も業績を上げたとされている。また3期続いたというのはドロール委員会のみで、ドロールも5年の委員長職の任期を2期務めた〔Giles Merritt A Bit More Delors Could Revamp the Commission インターナショナル・ヘラルド・トリビューン 1992年1月21日 (英語)〕。第3次委員会は1993年にマーストリヒト条約が発効し、欧州連合が発足したときの最初の委員会であった。
==業績==
ドロールを長とする欧州委員会については、 欧州連合の歴史の中で最も成功したといえ、今後の委員会が共同体に方向性や政治的・経済的活力を与えたかという判断の際の基準となる見方がある〔THE NEW COMMISSION - SOME INITIAL THOUGHTS Burson-Marsteller (英語)〕。
ドロール委員会の下で欧州統合の過程に弾みがついた。委員会は域内市場を完成させ、また単一欧州通貨の基礎を築き、経済通貨統合について、ドロール報告書〔Delors Report (英語)〕において3段階からなる計画を策定した。このことからドロールとほかの委員は「ユーロの父」と評されることがある。このような背景やその後の政治交渉により1986年2月に単一欧州議定書が、1992年にはマーストリヒト条約が調印され、ドロール委員会の権限は大幅に拡大された。また1985年のスペインポルトガルの加盟、ベルリンの壁崩壊によるドイツ再統一、1995年のオーストリアフィンランドスウェーデン加盟と続き、ドロール委員会では東側諸国への加盟に向けた土台を造り、その後2004年にこれら諸国の加盟が実現している。
1988年、ドロールはイギリス労働組合会議で演説し、その中で社会的なヨーロッパについて触れ、これはイギリス労働党を欧州統合支持に傾かせ、逆にイギリス保守党欧州統合懐疑主義に向かわせたという重大な影響を与えた〔Nyta Mann How Europe splits the Tories 英国放送協会 2002年11月26日 (英語)〕。
1992年、第2次ドロール委員会の任期満了を前にして、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンはドロール委員会の功績について次のように評し、3期目の必要性を訴えている〔。
Mr. Delors rescued the European Community from the doldrums. He arrived when Europessimism was at its worst. Although he was a little-known former French finance minister, he breathed life and hope into the EC and into the dispirited Brussels Commission. In his first term, from 1985 to 1988, he rallied Europe to the call of the single market, and when appointed to a second term he began urging Europeans toward the far more ambitious goals of economic, monetary and political union.

(日本語仮訳)ドロール委員長は欧州共同体の長期低迷を救った。ドロール氏は欧州の悲観論が最頂点に達していたときに登場した。当時ドロール氏はフランスの前財務相としてわずかに知られていた程度であったが、欧州共同体と力を失っていたブリュッセルの委員会に生命と希望を吹き込んだのである。1985年から1988年の1期目において欧州に単一市場を求める声を取り戻させ、2期目を任されたときには、欧州市民に経済、通貨、政治統合というさらに大きな目標へと走らせたのである。

対照的に、1995年にドロール委員会の後を受けて発足したサンテール委員会は不正が告発されて総辞職を余儀なくされ、プローディ委員会は2004年の拡大や単一通貨の導入実施を取り仕切ったにもかかわらず、余り評価されていない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドロール委員会」の詳細全文を読む




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