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ドメニコ・ベッカフーミ : ミニ英和和英辞書
ドメニコ・ベッカフーミ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ドメニコ・ベッカフーミ : ウィキペディア日本語版
ドメニコ・ベッカフーミ[ちょうおん]

ドメニコ・ディ・パーチェ・ベッカフーミDomenico di Pace Beccafumi, 1486年 - 1551年5月18日)は、ルネサンスマニエリスム期のイタリア画家。主にシエナで活動した。純粋なシエナ派の最後の代表者の一人と考えられている。
==生涯==
ドメニコはシエナ近郊のモンタペルティで生まれた。父親のジャコモ・ディ・パーチェは農民で、ロレンツォ・ベッカフーミの所有地で働いていた。ロレンツォはドメニコの絵の才能を認め、保護者となり、名字を使うことを許した。それからドメニコはシエナのしがない画家マルチェロのところに預けられ、絵を学んだ〔Hence his nickname ''Il Mecherino''.〕。
1509年、ベッカフーミはローマに旅したが、すぐにシエナに戻った。ドメニコとおおよそ同世代の2人のシエナ人画家(ソドマペルッツィ)がローマへの進出で、ウンブリア画派=フィレンツェ派の古典様式の要素に染まったのに対して、ベッカフーミはシエナ派の伝統的様式を頑なに守り続けた。シエナでの彼の仕事は、教会のための宗教画やパトロンのための神話を扱った装飾だった。そこには、当時圧倒的だったフィレンツェ派を真似たマニエリスム画家たちの影響も少しはあったが、それ以上に中世の風変わりさがあった。走馬燈のように去来する幻影、過度の感情的ディテール、霧がたちこめたような非=線形、ざらざらした質感、そして、彼と古典的なローマの巨匠たちとを決定的に隔てる色の配合、などである。
==シエナ大聖堂の舗床==
絵だけではなく、ベッカフーミはシエナ大聖堂の有名な舗床も手掛けた。この仕事には四半世紀を費やした(1517年1544年)。この舗床には指輪などに使われる「コメッソ」技法(宝石などをはりあわせる)を大がかりに用い、黒い輪郭をつけて彫られた白い大理石に、たくさんの色を用いた多様な模様を象眼した飾り縁がつけられた。そこに描かれた題材は、アハブエリヤメルキゼデクアブラハムモーセといった挿話である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドメニコ・ベッカフーミ」の詳細全文を読む




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