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ドイツの歴史認識 : ミニ英和和英辞書
ドイツの歴史認識[どいつのれきしにんしき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

歴史 : [れきし]
 【名詞】 1. history 
認識 : [にんしき]
  1. (n,vs) recognition 2. cognizance 3. cognisance 

ドイツの歴史認識 : ウィキペディア日本語版
ドイツの歴史認識[どいつのれきしにんしき]

ドイツの歴史認識(ドイツのれきしにんしき)では、特にドイツにおける第二次世界大戦時の戦争犯罪と戦後のそれへの社会的認識について扱う。
== ドイツの戦争犯罪観 ==
ドイツはナチス政権が崩壊、敗戦後アメリカ合衆国イギリスフランスソビエト連邦に分割占領され、冷戦時代にはソ連占領地区共産主義国家としてのドイツ民主共和国(東ドイツ)に、それ以外が自由主義資本主義国家としてのドイツ連邦共和国西ドイツ)として、東西分裂の時代があった。
東ドイツでは元ナチス関係者の追放が大々的に行われはしたが、戦争被害やユダヤ人迫害について東ドイツ政府は「資本主義体制の矛盾の現れ」として自国とは無関係とする立場を取った。
西ドイツでは当初は占領軍の手でナチスの追及が行われたが、占領期の後期にドイツ人の手にゆだねられた結果「非ナチ化はいまや、関係した多くの者をできるだけ早く名誉回復させ、復職させるためだけのものとなった」〔ロルフ・シュタイニンガー『ドイツ史 1945-1961』〕と評価される事態となった。このため「非ナチ証明書」はナチス時代の汚点を拭う事実上の「免罪符」となった。〔石田勇治『過去の克服 ヒトラー後のドイツ』白水社、2002年、70ページ〕それは罪を洗い流す証明書だということで、洗剤のブランド名をとって「ペルジール証明書」と皮肉られた。
そしてドイツ連邦政府発足後、わずか1年あまりの1950年にはアデナウアー政権の元で「非ナチ化終了宣言」が行われた。〔石田勇治『過去の克服 ヒトラー後のドイツ』白水社、2002年、101ページ〕その結果、占領軍の手で公職追放されていた元ナチ関係者15万人のうち99%以上が復帰している。1951年に発足した西ドイツ外務省では公務員の3分の2が元ナチス党員で占められていた。
更に再軍備に伴いドイツ軍による戦争犯罪とナチスのユダヤ人迫害は故意に切り離され、「戦争犯罪とは無縁のクリーンな国防軍」という「国防軍神話〔ドイツの「国防軍神話」と呼ばれるものには3つの意味がある。第1に「ドイツ軍は国家元首であるヒトラーに従っただけであり、戦争に関する責任はない」とするもの。これはA級戦犯として有罪になり処刑されたヨードルやカイテルら将軍の無罪論に繋がり、ニュルンベルク裁判を否定する強い動機にもなっている。第2には「国防軍はあくまでも通常の戦争行為を行ったのであり戦争犯罪とは無縁、残虐行為はナチス親衛隊が行った」とするナチス体制と国防軍を別個の存在とするもの。そして第3には「国防軍は清廉潔白で汚職とも無縁」とするものがある。〕」の成立により略奪や虐殺といった戦争犯罪の追及はおざなりとなっていった。
これは1952年12月3日にコンラート・アデナウアー首相の行った軍の名誉回復演説

に象徴されており、これが現在に至るまでドイツにおける軍に対する認識の基礎となった。
その一方で、ナチスによるユダヤ人迫害については特別視し、謝罪を繰り返している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドイツの歴史認識」の詳細全文を読む




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