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トレント号事件 : ミニ英和和英辞書
トレント号事件[とれんとごうじけん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ごう]
  1. (n,n-suf) (1) number 2. issue 3. (2) sobriquet 4. pen-name 
: [こと]
 【名詞】 1. thing 2. matter 3. fact 4. circumstances 5. business 6. reason 7. experience 
事件 : [じけん]
 【名詞】 1. event 2. affair 3. incident 4. case 5. plot 6. trouble 7. scandal 
: [くだん, けん]
 【名詞】 1. matter 2. case 3. item 

トレント号事件 : ウィキペディア日本語版
トレント号事件[とれんとごうじけん]

トレント号事件(トレントごうじけん、またはメイソン・スライデル事件、)は、アメリカ合衆国南北戦争中に外交問題に発展した事件である。1861年11月8日アメリカ海軍北軍)のチャールズ・ウィルクス海軍中佐が指揮するUSS''サンジャシント''がイギリスの郵便船RMS''トレント''を拘束し、南軍の外交官、ジェイムズ・マレー・メイソンとジョン・スライデルの2人を戦時禁制として連行した。この2人はアメリカ連合国が独立国としてヨーロッパ外交認知されるために、イギリスとフランスに向かわせた使節だった。
アメリカ合衆国の最初の反応はイギリスに対する反発であり、戦争突入を思わせるものだったが、エイブラハム・リンカーン大統領とその外交顧問は開戦の危険性を望まなかった。アメリカ連合国は、この事件でイギリスとアメリカ合衆国の関係を壊すことになるのを期待し、さらにはそれがイギリスによるアメリカ連合国認知に繋がることも望んだ。アメリカ連合国はその独立がイギリスとアメリカ合衆国の間に起こる戦争に依存する可能性を認識していた。イギリスでは、この事件がイギリスの中立でいる権利の侵害であり、国の名誉に対する侮辱だと見なした大衆が怒りを表した。イギリスの政府は謝罪と捕虜の解放を要求し、一方ではカナダ大西洋における軍事力増強に動いた。
緊張感が高まり、開戦の噂が流れてから数週間後に、リンカーン政権が使節を釈放し、ウィルクス大佐の行動を否認したことで、危機が回避された。公式の謝罪は無かった。メイソンとスライデルはイギリスへの旅を再開したが、アメリカ連合国が諸外国から認知されるという目的は果たせなかった。
== 背景 ==
アメリカ連合国とジェファーソン・デイヴィス大統領は、ヨーロッパの繊維産業がアメリカの綿花に依存しているために、ヨーロッパ諸国の調停という形でアメリカ連合国の外交認知と仲裁に繋がると、当初から考えていた。歴史家のチャールズ・ハバードは次のように記している。

外交に関する北軍の方向性はまるで反対だった。すなわち南部(アメリカ連合国)をイギリスが認知するのを妨げることだった。1850年代を通じて、イギリスとアメリカの関係は改善が進んでいた。オレゴン境界紛争テキサス州に関わるイギリスの関与、およびカナダ国境の問題は全て1840年代に解決されていた。アメリカ合衆国国務長官ウィリアム・スワードが南北戦争の間の外交政策では主要な立案者であり、アメリカ独立戦争以来機能してきた外交の原則を維持するつもりだった。すなわち他国の事情にアメリカ合衆国が干渉しないこと、およびアメリカ合衆国と西半球諸国の事情への外国からの干渉を阻止することだった〔Jones pp. 2–3. Hubbard p. 17. Mahin p. 12.〕。
イギリスの首相パーマストンは、中立政策を主導していた。国内の関心はヨーロッパに向けられており、特にフランスのナポレオン3世がヨーロッパに向けている野心と、プロイセンにおけるビスマルクの台頭を監視する必要があった。南北戦争の間のアメリカに対するイギリスの反応は、過去のイギリスの政策と、戦略および経済における国益によって形作られていた。西半球では、アメリカ合衆国との関係が改善されているのと同様に、中央アメリカでの問題に関してもアメリカ合衆国と対立しないよう注意するようになっていた。イギリスは海軍強国として、敵国の海上封鎖を行う中立国の栄誉を以前から守ってきており、その考え方で南北戦争の初期より北軍の海上封鎖に対する「事実上の」支持を行い、南部の怒りを買うことになっていた〔Berwanger p. 874. Hubbard p. 18. Baxter, ''The British Government and Neutral Rights'', p. 9. Baxter wrote, “the British government, while defending the rights of British merchants and shipowners, kept one eye on the precedents and the other on the future interests of the mistress of the sea.”〕。
ワシントン駐在のロシア大使エドゥアルド・ド・ステッケルは、「ロンドンの内閣が北軍内部の不和を注意深く監視しており、北軍が表面を繕う難しさに耐えられなくなる結果を心待ちしている」と記していた。ド・ステッケルは、イギリスが早期にアメリカ連合国を認知することになると、母国に報告していた。ロシア駐在アメリカ大使のカシアス・クレイは「イングランドの感覚がどこを向いているか一目で分かる。彼等は我々の破滅を期待している!彼等は我々の力を嫉妬している。彼等にとっては南部でも北部でも構わない。彼等はどちらも憎いのだ。」と述べていた〔Graebner p. 60–61.〕。
南北戦争が始まったとき、ロンドン駐在アメリカ大使チャールズ・フランシス・アダムズ・シニアだった。アダムズは、今回の戦争が厳密に国内の反乱であり、アメリカ連合国には国際法の下での権利を与えるものでないと、ワシントン政府が考えていることを明らかにしていた。イギリスが公式にアメリカ連合国を認知するような動きがあれば、アメリカ合衆国に対する非友好的な行為であると見なすはずだった。スワードがアダムズに与えた指示では、世界に領土が広がり、またスコットランドアイルランドを含む母国があるイギリスは、『危険な前例を作る』ことに大きな注意を払うべきことをはっきりさせておくことだった〔Mahin p. 47. Taylor p. 177.〕。
経験を積んだ外交官であるライアンズ卿がアメリカ駐在イギリス大使だった。ライアンズはスワードについて次のようにロンドンに警告していた。

ライアンズはスワードに対する不信にも拘わらず、1861年を通じて「冷静で図られた」外交を続け、「トレント号」危機でも平和的な解決に貢献した〔Dubrulle pg. 1234.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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