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トム・ダウド : ウィキペディア日本語版
トム・ダウド

トム・ダウド(Tom Dowd、1925年10月20日 - 2002年10月27日)は、アメリカ合衆国プロデューサー / エンジニアアトランティック・レコードに所属し、多くのアルバムの制作に関わってきた。多重録音ステレオ録音の分野において、アトランティック・レコードを国内有数のレーベルに押し上げた人物として評価されている〔allmusic.com 〕。
== 来歴 ==
ニューヨークマンハッタンで、コンサート・マスターの父とオペラ歌手の母の間に生まれる。
コロンビア大学の物理学研究室に勤務し、第二次世界大戦中だった18歳の時に徴兵されて工兵として原子核工学を研究。それはマンハッタン計画に関わるものだった〔Biography_1940's 〕。
戦後は退役し、クラシック音楽関係の仕事を経て、1940年代末期、当時はまだ新興レーベルだったアトランティック・レコードレコーディング・エンジニアとなる。音楽と物理学の知識を生かしたトムの音作りは、1949年には既に評判となり、1950年代にはレイ・チャールズルース・ブラウン等のR&Bアーティスト、チャールズ・ミンガスジョン・コルトレーン等のジャズ・アーティストの多くの作品に関わった。
1960年代前半には、アトランティックと提携していたスタックス・レコードの録音機材を改修するためメンフィスに出向き、同レーベルの音質向上に貢献。同社所属のミュージシャン達からも尊敬されるに至った〔Biography_1960's 〕。トムの同社での仕事としては、オーティス・レディングオーティス・ブルー』(1965年)でエンジニアを担当したことも有名。
1960年代後半には、プロデューサーとしてクレジットされることも多くなる。とりわけ、アラバマ州マッスル・ショールズのスタジオ・ミュージシャンを起用して手がけたアレサ・フランクリンの諸作は大ヒットとなった。また、クリームの作品のエンジニアを担当する等、ロックの仕事も増えていく。
1970年代前半には、マイアミのCriteria Recording Studiosを拠点としてサザン・ロックの隆盛に貢献。特に、かねてからデュアン・オールマンと親交があったこともあり、オールマン・ブラザーズ・バンドとの関係は2000年代に至るまで続くこととなる。1970年にはデレク・アンド・ザ・ドミノスのアルバム制作にも関わった。1974年にはエリック・クラプトンの第一線への復帰に貢献し、クラプトンとは1980年代中期まで、断続的ではあるが共同作業を行う。ジェイムス・ギャングのアルバム『マイアミ』(1974年)では、プロデュースのみならずキーボードの演奏でも参加〔『Miami』Credits(allmusic.com) 〕。1975年に渡米したロッド・スチュワートも、トムがプロデュースしたアルバム『アトランティック・クロッシング』を大ヒットさせ、1970年代後半を通してトムをプロデューサーに起用し続けた。
1990年代になっても、プライマル・スクリームの『ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ』(1994年)等を手がけた。2002年、肺気腫で他界。
2003年、トムの生前から企画されていたドキュメンタリー映画『Tom Dowd & The Language Of Music』が公開された。2006年4月には『トム・ダウド/いとしのレイラをミックスした男』という邦題で日本公開される〔allcinema.com 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トム・ダウド」の詳細全文を読む




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