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トニー・ラルーサ : ミニ英和和英辞書
トニー・ラルーサ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

トニー・ラルーサ : ウィキペディア日本語版
トニー・ラルーサ[ちょうおん]

トニー・ラルーサ Anthony La Russa, Jr. , 1944年10月4日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州タンパ出身の元プロ野球選手監督
== 略歴 ==
フロリダ州タンパで生まれ、高校卒業後の1962年に内野手としてカンザスシティ・アスレチックスと契約し、翌5月10日にメジャーデビュー。しかし2年目のシーズンオフに痛めた右腕が完治せず、選手としては大成することなく終わる。選手時代のほとんどをオークランド・アスレチックス、アトランタ・ブレーブスピッツバーグ・パイレーツシカゴ・ホワイトソックスセントルイス・カージナルスシカゴ・カブスなどのマイナーで送る。4月6日の試合に代走で出場したのが最後のメジャー出場となった。
監督になる前にロースクールに通い、フロリダ州立大学から法務博士学位を得たが、法曹界には入らなかった。のシーズン中に、34歳の若さでシカゴ・ホワイトソックスの監督に就任。にはアメリカンリーグ西地区を制し、最優秀監督賞を受賞。同年はリーグチャンピオンシップシリーズボルチモア・オリオールズに敗れる。その後のシーズン中にホワイトソックスが26勝38敗とつまづいた責任を問われ、解雇される。
ホワイトソックスから解雇された3週間後にオークランド・アスレチックスの監督に就任する。マーク・マグワイアホセ・カンセコの通称バッシュ・ブラザースを擁して、からまで三年連続でワールドシリーズにチームを導き、にはサンフランシスコ・ジャイアンツを降してワールドシリーズを制覇する。1988年に二度目、に三度目の最優秀監督賞に輝く。
にアスレチックスの監督を辞任、そのままセントルイス・カージナルスの監督に就任し、、2000 - 2002年、2004 - 2006年の7回ナショナルリーグの中地区優勝を果たす。には105勝でカージナルス監督として初のワールドシリーズ進出を果たすが、ボストン・レッドソックスに4連敗を喫し、翌は2年連続100勝を記録するもヒューストン・アストロズリーグチャンピオンシップシリーズで敗退。は怪我人続出によって83勝で辛うじて地区優勝を果たすなど下馬評は高くなかったものの、ディビジョンシリーズサンディエゴ・パドレスを3勝1敗、リーグチャンピオンシップシリーズニューヨーク・メッツを激闘の末4勝3敗で下し、ワールドシリーズでもデトロイト・タイガースを4勝1敗で破ってカージナルスに24年ぶり10回目の世界一をもたらし、これによりラルーサはスパーキー・アンダーソンに続き史上2人目の両リーグでのワールドシリーズ優勝監督となった。また、対戦相手デトロイト・タイガースの監督ジム・リーランド1997年のワールドシリーズフロリダ・マーリンズを率いてワールドチャンピオンになった経験があり、どちらが勝っても両リーグでのワールドシリーズ優勝監督となっていた。
は前半戦を首位に立ちながら8月に失速、中地区1位のミルウォーキー・ブルワーズには10.5ゲーム差、ワイルドカード争いをしていたブレーブスにも8.5ゲーム差をつけられた。しかしそこからブレーブスとの直接対決で3連勝するなどし、最終戦でワイルドカードを奪取。ディビジョンシリーズではレギュラーシーズンで両リーグ最高勝率を記録し世界一候補の筆頭だったフィラデルフィア・フィリーズを3勝2敗で退けると、リーグチャンピオンシップシリーズではブルワーズを4勝2敗で撃破。テキサス・レンジャーズとのワールドシリーズは2度もあと1ストライクで敗退という状況から勝利を収めた第6戦など、激闘を演じた末4勝3敗で勝利した。ポストシーズン史上最多の投手を起用する、「マイクロマネージ」と呼ばれる細かな継投策が目立った。
10月31日、監督引退を表明した。引退は8月に決めており、理由を「いくつかの要因が重なった結果」と説明した。
1月24日、2012年オールスター戦のナ・リーグ監督を務めることが発表され、試合は8-0でナ・リーグが快勝した。退任した人物が監督を務めたのは1933年の第1回オールスターでナ・リーグを率いたジョン・マグロー以来2人目となった。

また、2012年5月1日には自身の背番号『10』がカージナルスの永久欠番に指定されている。2014年ベテランズ委員会の選考によりアメリカ野球殿堂入りを果たした。
2014年5月17日よりアリゾナ・ダイヤモンドバックスの編成部門の最高責任者に就任。
2015年8月に初来日。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トニー・ラルーサ」の詳細全文を読む




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