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デニス・カン ( リダイレクト:デニス・カーン ) : ウィキペディア日本語版
デニス・カーン

デニス・カーン〔パンクラスではデニス・ケイン、K-1ではデニス・カンと表記されていた。〕(Denis Kang、、男性、1977年9月17日 - )は、カナダ総合格闘家。出生地はニューファンドランド島南岸のフランスサンピエール島・ミクロン島アメリカ合衆国フロリダ州在住。アメリカン・トップチーム所属。ブラジリアン柔術黒帯。
韓国人の父とフランスカナダ人の母を持ち、フランス、スペイン、カナダ、アメリカ合衆国など居住地を転々としたことが「多国籍サイボーグ」の異名に由来しており、カーウソン・グレイシー柔術、柔道空手レスリングテコンドーハプキドーなどの様々なバックボーンを持つ。スタンドの鋭い打撃にグラウンドテクニックを併せ持ち、その経歴からくる様々な格闘技が溶け合ったファイトスタイルを以て、自らを「新世紀の戦士」と自称する。
弟のジュリアン・カーンは韓国で有名なモデル
== 来歴 ==
1998年8月2日、Ultimate Warrior Challengeでプロ総合格闘技デビュー。
2000年9月24日、パンクラスでの鈴木みのる戦で日本デビュー。鈴木の腰の負傷によりギブアップ勝ち。
2004年7月17日、K-1 WORLD GP 2004 in SEOULで行われたASIA GPの1回戦でガオグライ・ゲーンノラシンと対戦。1R右ストレートでKO負け。
2004年9月11日、韓国で開催されたSpirit MC GPで優勝した。
2005年4月3日、PRIDE初参戦となったPRIDE 武士道 -其の六-で大場貴弘と対戦し、1R腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
2005年7月17日、PRIDE 武士道 -其の八-アンドレイ・シモノフと1年半ぶりに再戦し、判定勝ち。
2006年4月2日、PRIDE 武士道 -其の拾-ではマーク・ウィアーからギブアップ勝ちを収め、同年開催のウェルター級グランプリへの出場権を手にする。
2006年6月4日、PRIDE 武士道 -其の十一-のウェルター級グランプリ1回戦でムリーロ・ニンジャと対戦。1ラウンド開始15秒でパウンドでKO勝ち。
8月26日、PRIDE 武士道 -其の十二-のウェルター級グランプリ2回戦ではアマール・スロエフと対戦。カウンターの右ストレートでスロエフをマットに倒すと、バックから右腕一本で首を絞め上げ、意識の薄れたスロエフがタップアウト。準決勝に進出。
2006年9月24日、恋人であったシェルビー・ウォーカーが死去。
2006年11月5日、PRIDE 武士道 -其の十三-のウェルター級グランプリ準決勝で郷野聡寛と対戦。郷野の戦術に苦しむも、判定で勝利し決勝へ進出。決勝ではファイナリストのパウロ・フィリオの負傷棄権によって準決勝でフィリオに敗れた三崎和雄と優勝を懸けて対戦。カーンは大会前から怪我していた肩を悪化させて決勝戦の前にはドクターストップがかかっていたが、死去した恋人のために強行出場し、序盤は圧倒するも、後半の三崎の反撃に主導権を奪われ、2-1の判定負け。惜しくもグランプリ準優勝に終わった。
2007年9月17日のHERO'Sで桜庭和志との対戦オファーもあったが、実現しなかった。桜庭のことを尊敬していて、Tシャツやフィギュアも持っている。
2007年10月28日、HERO'S KOREA 2007で試合の1週間前に急遽オファーを受けて秋山成勲と対戦し、右アッパーでKO負け。
2008年4月29日、DREAM.2のミドル級グランプリ1回戦でゲガール・ムサシと対戦し、三角絞めで一本負け。
2008年11月、UFCと契約したことが発表された〔デニス・カーンがUFCと契約、ついに米国にカムバック MMAPLANET 2008年11月4日〕。2009年1月17日、アイルランドダブリンにおけるUFC 93にてUFCデビュー。アラン・ベルチャーを相手に1Rは優勢だったが、2Rにギロチンチョークで逆転負けを喫した〔【UFC93】ベルチャー、カーンをギロチン葬に MMAPLANET 2009年1月18日〕。
2009年4月18日、UFC 97ではグザヴィエ・フパ=ポカムに3-0の判定勝ちを収め、UFC初勝利となった。
2009年11月14日、イギリスマンチェスターにおけるUFC 105で地元イギリスのマイケル・ビスピンと対戦。1Rは終始圧倒していたが、2Rに逆転TKO負け〔【UFC105】壮絶KO負けから復活、ビスピン逆転勝利 MMAPLANET 2009年11月15日〕。しかし好勝負が評価されてファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
2010年4月25日に開催された吉田秀彦引退興行 〜ASTRA〜に出場予定であったが〔【吉田秀彦引退興行】4・25エンセン井上が6年ぶりに復帰!「この試合で死んでもいい」 GBR 2010年3月16日〕、腰痛のヘルニアが悪化したために欠場となった〔【吉田秀彦引退興行】4・25吉田の相手が遂に決定!中村和裕と師弟対決 GBR 2010年4月1日〕。
2010年7月18日、シドニーで行われたImpact FCパウロ・フィリオと対戦。「PRIDEウェルター級GP2006幻の決勝戦」として注目されたこの試合で判定1-1で引き分けた〔【Impact FC】幻のPRIDEウェルター級GP決勝の結果は? MMAPLANET 2010年7月18日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「デニス・カーン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Denis Kang 」があります。




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