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ディーコン・ホワイト : ミニ英和和英辞書
ディーコン・ホワイト[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ディーコン・ホワイト : ウィキペディア日本語版
ディーコン・ホワイト[ちょうおん]

ディーコン・ホワイト(James Laurie "Deacon" White、 1847年12月7日 - 1939年7月7日)は、1870~1880年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。主なポジションは内野手捕手ニューヨーク州ケイトン生まれ。右投げ左打ち。アメリカのプロ野球リーグ誕生から20年間選手として活躍、ナショナル・アソシエーション時代を含め首位打者2回、最多打点を3回獲得した。
== 球歴 ==
ホワイトは1868年にクリーブランドのフォレストシティ・ベースボール・クラブにプロの選手として所属し、主に捕手を務めていた。所属するフォレストシティ・クラブは、1871年にナショナル・アソシエーションが創設された際1年目からリーグに参加し、ホワイトは1871年と1872年にそれぞれ3割を超える打率を残したが、チームは成績が芳しくなく2年でリーグを脱退し破綻する。翌1873年にはハリー・ライトの誘いでボストン・レッドストッキングス(現アトランタ・ブレーブス)に参加、3年目にリーグ最多の77打点と.390の打率を記録、また1875年にはリーグ最高打率となる.367を記録するなど、ボストンのリーグ連覇を牽引する役割を担った。
1876年ナショナルリーグが設立された年には、1年間シカゴ・ホワイトストッキングス(現カブス)に参加、アルバート・スポルディングキャップ・アンソンロス・バーンズらとともにナショナルリーグ初代優勝の立役者の一人となる。この年ホワイトはリーグ最多の60打点を上げ、ナショナルリーグの初代「打点王」にもなった。〔当時はまだ打点のタイトルはなく、打点数は後年計算された結果によるものである。〕翌1877年はボストンに復帰し、同年打率(.387)、安打数(103)、打点(49)、三塁打数(11)の4つの部門でリーグトップとなる成績を残し、ここでもボストンをリーグ優勝に導いた。
その後はシンシナティに3年間、バッファローに5年間在籍し、1885年オフにバッファローが解散した際7,000ドルの金銭と引き換えにダン・ブローザースら4選手(当時「ビッグ・フォー」と呼ばれていた)とともにデトロイト・ウルバリンズに移籍した。大幅に補強されたウルバリンズは1887年にナショナルリーグ優勝を飾ったが、翌1888年に年俸高騰などの理由から、球団はホワイトら選手の所有権を一方的にピッツバーグ(現パイレーツ)に売り渡すなどした。ホワイトはこれに異議を唱えて長い間法廷で争ったが、結局は翌1889年のピッツバーグ(現パイレーツ)でのプレーを強要されることになった。1890年に42歳でプレイヤーズ・リーグに参加、122試合に出場し、この年を最後に選手を引退した。1939年にイリノイ州で91歳で他界。
ホワイトの活躍は長く歴史に埋もれていたが、2008年にアメリカ野球殿堂のベテランズ委員会による、殿堂入り投票の候補者の一人としてその名前が挙がった。
ベテランズ委員会の選考により、アメリカ野球殿堂入りを果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ディーコン・ホワイト」の詳細全文を読む




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