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ディオニシイ・アレオパギト : ミニ英和和英辞書
ディオニシイ・アレオパギト
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ディオニシイ・アレオパギト ( リダイレクト:偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテース ) : ウィキペディア日本語版
偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテース[ぎ-]
偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテース(ぎ-、)、または偽ディオニュシウス・アレオパギタ()は、5世紀ごろの(おそらく)シリア神学者偽ディオニュシオスとも略称される。
『ディオニュシオス文書』(Corpus Dionysiacum)と呼ばれる一連の神学的文献群の著者と同定されている人物である。この文献群は、元々は『使徒行伝』(17:34)に一度だけ登場するアテナイアレオパゴス評議所の評議員である「アレオパゴスのディオニュシオス」(すなわち、ディオニュシオス・ホ・アレオパギテース()、ディオニュシウス・アレオパギタ())の手によるものと長年信じられてきたが、15世紀以降その文書の成立年代が特定され、後世の別人によるものだと判明したため、著者の区別をつけるため、「」(ぎ、, )という接頭辞をつけて呼ばれるようになった。
現代ギリシャ語読みで偽ディオニシオス・オ・アレオパギティスともいう。日本正教会ではディオニシイ・アレオパギト
== 概要 ==
ディオニュシオスの著作にはネオプラトニズムの強い影響がうかがえる。特に『ディオニュシオス文書』の成立が5世紀以降であることを特定する原因となったプロクロスの著作の影響がみられる。他にもアレクサンドリアのクレメンスカッパドキア三教父オリゲネスなどの影響を受けている。
ディオニュシオスは単性説と正統な教義を調和させることを目指した一連の神学者群のグループに属していたようである。彼の著作は5世紀以降現れ、初めは単性説論者によって引用されていたが、東方から始まって徐々に多くの神学者によって受け入れられていった。西方においてもエリウゲナ以降、中世においてさかんに注釈され、研究されたが、ルネッサンス時代に入ってはじめてその真性に疑問が持たれた。
12世紀の神学者ピエール・アベラールはエロイーズとの悲劇の後にベネディクト会に入会し、サン・ドニ修道院に入った。1120年ごろ、サベリウス主義を教えたという疑いで追放されていたが、やがて許され修道院に戻った。やがて戻ったアベラールは自らの修道院の名前の由来である聖人の事跡に疑問を抱くようになる。というのも当時は三人のディオニュシオス(ディオニュシウス)なる人物が混同されていたのである。それは以下の三人である。
# 『使徒行伝』にあらわれ、パウロの説教によって改宗したという1世紀のアテネのディオニュシオス
# 4世紀の宣教者、パリのディオニュシウス
# 5世紀の『ディオニュシオス文書』の著者。おそらくグルジア出身の神学者イベリアのペトルスと考えられる。
そのため、サン・ドニ修道院では自らの修道院の創設者パリのディオニュシウスがアテネのディオニュシオスと混同されて考えられていた。ディオニュシオス(ラテン語表記ではディオニュシウス)というのはギリシャ人の名前としてはよくある名前であったため、このような混同が起きたのであろう。しかし、アベラールはこの論争のため再び物議をかもすことになる。
ディオニュシオス文書群は『天上位階論』、『教会位階論』、『神名論』、『神秘神学』の四つの著作およびいくつかの書簡から成っている。文書の中では己自身の著作として『象徴神学』と『神学綱要』という名も挙げられているが、伝承はしておらず、初めから書かれていないという説もある。
サン・ドニ修道院ではシャルル2世から与えられたという『ディオニュシオス文書』のギリシャ語版が継承されていた。これが9世紀に入ってエリウゲナの手でラテン語に翻訳されたのである。このエリウゲナによるラテン語版はヨーロッパで有名になり、特にその『天上位階論』(天使論)はよく知られた。
15世紀に入るとロレンツォ・ヴァラが『ディオニュシオス文書』の成立が明らかに5世紀以降で、『使徒行伝』のアテネのディオニュシオスとは無関係であることを証明した。しかしヴァラも本当の著者が誰であるかまでは解明できなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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