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イベリアのピーター : ミニ英和和英辞書
イベリアのピーター[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

イベリアのピーター : ウィキペディア日本語版
イベリアのピーター[ちょうおん]


イベリアのピーター(, ラテン文字表記: Petre Iberi, 413年頃 - 491年)は、イベリア王国(現在のグルジア東部)の王子、神学者また哲学者。初期キリスト教における大立者にしてネオプラトニズムの創始者の一人である。一部では偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテースのペンネームで書かれた書物の著者の一人であるとされる〔Sh. Nutsubidze. "Mystery of Pseudo-Dionys Areopagit (a monograph), Tbilisi, 1942; E. Honigmann, Pierre l'Iberian et les ecrits du Pseudo-Denys l'Areopagita. Bruxelles, 1952.〕。
グルジアでは初となる僧院をベツレヘムに設立し、ガザ近郊のの主教となった。また晩年にはと対立した〔〔。
== 生涯 ==

ピーターはの王家であるに生まれた。出生年は413年または417年頃とされている〔〔。出生名は Murvan (あるいは Nabarnugios〔)。ピーターの父である王ボスマリオスは著名な哲学者ミトリダテス(または宦官ヨハネス)をから招き、ピーターの教育にあたらせた。ピーターは12歳で政治的な人質としてコンスタンティノープルに送られ、東ローマ皇帝テオドシウス2世の皇后アエリア・エウドキアの支援のもとで英才教育を受けた〔〔。
その後、20歳になったピーターは師ミトリダテスと共に宮殿を後にし、パレスチナへの巡礼の旅に向かうことを決める〔。430年、ピーターは自身の僧院をベツレヘムに設立し(後に“ベツレヘムのグルジア修道院”として知られる)、445年には司祭となる。ミトリダテスを伴って近東の複数の国々を旅し、終にガザにほど近いに移り住む。
452年、半年の間マイウマの主教を務めた。ピーターはエジプトに逃れたが10年でパレスチナに戻り、数多くの支持者と弟子を集めた。弟子の一人であるは、聖人伝記の著者であり、またマイウマの主教をピーターから継いだと考えられている〔。
ピーターは491年〔に古代ヤブネの港町で亡くなり、ガザ近くの彼の僧院に埋葬された〔 〕。
複数の東方教会は、ピーターがの教義に対立していたと考えている。
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