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ディエンビエンフーの戦い : ミニ英和和英辞書
ディエンビエンフーの戦い[でぃえんびえんふーのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

ディエンビエンフーの戦い : ウィキペディア日本語版
ディエンビエンフーの戦い[でぃえんびえんふーのたたかい]

ディエンビエンフーの戦い(ディエンビエンフーのたたかい、, 漢字:戰役奠邊府, )とは、1954年3月から5月にかけてフランス領インドシナ北西部のディエンビエンフー(, 漢字:奠邊府)で起こった、第一次インドシナ戦争中最大の戦闘。ベトナム人民軍フランス軍合わせて約1万人の戦死者を出した。同戦争の大きな転機となり、フランスベトナム撤退を余儀なくされることになる。
== 概要 ==

=== 仏軍の作戦計画と空挺降下 ===
1953年11月において、フランス軍はもはや紅河デルタ地帯を確保するのみで、頽勢覆いがたくなっていた。しかし一方で、ベトミン軍も広域に展開することを余儀なくされ、兵站上の負担が大きくなっているものとみられていた。後方支援能力に関してはフランス軍が優位であるとみられていたことから、ベトミン正規軍主力を逐次遠隔地に誘引し撃滅することが計画された。この計画における適地として、北西部山岳地帯とラオス平原地帯が選ばれた。
この計画立案過程で注目されたのが、北西部に位置するディエンビエンフー市であった。同市には、旧日本軍が設営した飛行場跡があり、大規模な空中補給と空挺降下が可能で、また、作戦航空機のハノイへの往復路としては限界点でもあった。このことから、まず同市を確保してこれを補給・航空基地とした上でラオス北部のルアンパバーン郡に進出してここに防御基地を設営することが計画された。
しかしこの計画はあまりに冒険的と判断され、またディエンビエンフー市一帯はインドシナ半島北部有数の穀倉地帯であり、これを確保することで南部の穀倉地帯である紅河デルタに対するベトミン軍の圧力が分散することが期待されたことから、同市が補給・航空基地と防御基地を兼ねることとされた。当初計画を立案したトンキン軍管区司令官(ルネ・コニー少将)は、この計画変更に反対したが、反対は却下された。
この構想の成算は、以下のような根拠に基づいていた。
# 地形と火力面の優位:
ディエンビエンフー市は盆地地形であり、稜線内に関しては火制できると期待された。また盆地の大きさを考慮すると、迫撃砲無反動砲程度では稜線外から盆地中央部を攻撃することは困難であった。なお、ベトミン軍は輸送手段が限定されているために、これ以上の重火器を投入することは困難であると判断されていた。
# 兵站面の優位:
ベトミン軍は補給能力が貧弱であり、根拠地から離れた同市周辺に大部隊を展開・維持することは困難が予測された。これに対し、フランス軍は航空輸送により補給路を確保しうると期待できた。
上記根拠より、ディエンビエンフーの占領を目的としたエアボーン作戦として、カストール作戦が立案された。ベトミン軍第316師団が北西部に移動していることが判明したことから、機先を制するため、作戦の発動は繰り上げられ、1953年11月20日、3個空挺大隊が2回に分けて降下した。
21日には更に3個大隊が降下、25日には滑走路の再整備が完了〔し、要塞の構築も進められ〔ディエンビエンフー要塞の建設は、フランスへの援助を通じてベトナムへの介入を強めていたアメリカ、特にリチャード・ニクソン副大統領の強力なイニシアチブの下で進められた。要塞が完成する直前にはニクソン副大統領自らが現地を訪問し、ジープで走り回りながら構築状況を確認している姿が記録フィルムに残されている。〕、アンリ・ナヴァールHenri Navarre)将軍指揮下の精鋭外人部隊など、歩兵17個大隊、砲兵3個大隊、1万6千にも及ぶ兵力が投入された。司令官としては、クリスティアン・ド・カストリChristian de Castries)大佐が補職された。これらの部隊には、分解・空輸された10両のM24軽戦車も含まれていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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