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テオドルス・ファン・ゴッホ : ミニ英和和英辞書
テオドルス・ファン・ゴッホ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


テオドルス・ファン・ゴッホ : ウィキペディア日本語版
テオドルス・ファン・ゴッホ

テオドルス・ファン・ゴッホ(、1857年5月1日 - 1891年1月25日)は、オランダ出身の画商画家フィンセント・ファン・ゴッホの弟。テオ(Theo)の愛称で知られる。フランスで活動したこともあって、名前はフランス風にテオドール(Théodore)と呼ばれることもある。
現在の北ブラバント州アイントホーフェンからやや東部にあるズンデルトニューネン付近)に生まれる。祖父は聖職者フィンセント・ファン・ゴッホ1世(1789年 - 1874年)、父はオランダ改革派教会牧師テオドルス・ファン・ゴッホ1世(通称ドルス、1822年 - 1885年)、母はハーグ王室御用製本師の娘アンナ・コルネリア・カルベントゥス(1819年 - 1907年)。妻はヨハンナ・ボンゲル(通称ヨー、1862年 - 1925年)、息子はエンジニアのフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ(1890年1月31日生)。映画監督テオ・ファン・ゴッホは曾孫である。
画商グーピル商会(後にブッソ・ヴァラドン商会と改称。テオの入社前年まで、伯父フィンセント・ファン・ゴッホ2世(通称セント)が経営陣に参加していた)に勤め、パリモンマルトル大通り店の経営を任された。親兄弟と確執関係にあったフィンセントの唯一の理解者で、兄に生活費を援助するなどして支えた人物であった。1880年以降、テオが経済的に援助し続けたので、フィンセントは絵画に専念することが可能になった。
1890年7月27日にフィンセントがパリ郊外のオーヴェル=シュル=オワーズにて死亡すると、その死を悲しんだ。テオ自身はもともと病弱だったが、兄の死をきっかけに徐々に衰弱し、オランダに帰国した。翌1891年、兄の後を追うようにユトレヒトの精神病院で死去した。34歳。
妻ヨーはテオの死後、画家ヨハン・コーヘン・ホッスハルク(Johan Cohen Gosschalk, 1873年 - 1912年)と再婚したが、1914年4月、テオの遺骨をフランスのオーヴェル=シュル=オワーズにあるフィンセントの墓の隣に改葬し、フィンセントとテオの墓石が並ぶことになった。

== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「テオドルス・ファン・ゴッホ」の詳細全文を読む




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