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タージ・マハル : ミニ英和和英辞書
タージ・マハル[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

タージ・マハル : ウィキペディア日本語版
タージ・マハル[ちょうおん]

タージ・マハル(, , )は、インド北部アーグラにある、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石墓廟インド・イスラーム文化の代表的建築である。
== 概要 ==

1632年着工、1653年竣工と言われる〔渡辺(1988)、p.177-212、第四章 ムガル帝国の栄華、蓮池に浮かんだ墓廟〕。
謀反を起こした臣下ハーン・ジャハーン・ローディー討伐に付き従っていたムムターズ・マハルは、遠征先のブルハーンプルで〔産褥病のため、1631年6月7日に死亡した。彼女は遺言のひとつに、後世に残る墓を所望した〔渡辺(1988)、p.3-12、序 天上楽園の夢〕。彼女はブルハーンプルのザイナーバードの庭園に葬られ、毎週金曜日には訪れるまだ39歳のシャー・ジャハーンの髯はすっかり白くなっていた〔。
霊廟の計画はブルハーンプル滞在時には着手され始めたと考えられる。1632年の初めにムムターズ・マハルの遺体は都アーグラに送られ、ダールル・ヒラーファト・アクバラーバードの庭園に安置されたが、シャー・ジャハーンはデカン討伐を続けた。6月、シャー・ジャハーンが遠征を終えるとアーグラに舞い戻り、ムムターズ・マハルの一回忌追悼式典が催され、霊廟建設が開始された。基礎工事を経て1636年には白い霊廟がほぼ完成し、さらにこれを挟んでモスクと集会場、尖塔、そして大楼門が建設された。大楼門北側には「神のご加護により、1057年竣工」という文字が刻まれている。イスラーム暦1057年は西暦1648年であり建設開始から17年を経ているが、その後には付帯設備が5年間をかけて整備され、すべての工事は1653年に完了した〔。なお、シャー・ジャハーンは、タージ・マハルと対をなす形でヤムナー川を挟んだ対岸に黒大理石で出来た自身の廟を作ろうとしたとされるが、これは実現しなかった。
名前の由来は不確定ながら、王妃ムムターズ・マハルのムムが消え、ターズがインド風発音のタージになったという〔渡辺(1988)、p.213-228、第四章 ムガル帝国の栄華、悲運の兄皇子密殺〕。ムムターズ・マハルはペルシャ語で「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者〔」を意味する言葉であり、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号である。彼女の本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーグムという〔。タージ・マハルを言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になる。
また、地元では親しみを込めてビービー・カー・ラウザと呼ばれていた。ビービーは親しみを込めた貴婦人への呼びかけ。カー・ラウザは「(その貴婦人)の廟園」を意味する〔。
1983年にユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録され、2007年に新・世界七不思議に選出された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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