翻訳と辞書
Words near each other
・ ソロフキ
・ ソロフラ
・ ソロプチミスト
・ ソロプロジェクト
・ ソロベイ–シュトラッセン素数判定法
・ ソロベツキー諸島
・ ソロボダン・ミロシェビッチ
・ ソロマナ・カンテ
・ ソロムコ
・ ソロモニヤ・サブーロヴァ
ソロモン
・ ソロモン (ガンダムシリーズ)
・ ソロモン (ピアニスト)
・ ソロモン (ヘンデル)
・ ソロモン (曖昧さ回避)
・ ソロモン72柱
・ ソロモンとシバの女王
・ ソロモンの偽証
・ ソロモンの偽証 前篇・事件
・ ソロモンの偽証 後篇・裁判


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ソロモン : ミニ英和和英辞書
ソロモン
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ソロモン : ウィキペディア日本語版
ソロモン

ソロモン(、 、 、 、 、 紀元前1011年頃 - 紀元前931年頃)は、旧約聖書の『列王記』に登場する古代イスラエルイスラエル王国)の第3代の王(在位紀元前971年 - 紀元前931年頃)。父はダビデ。母はバト・シェバエジプトに臣下の礼をとり、ファラオの娘を降嫁されることで安全保障を確立し、古代イスラエルの最盛期を築いた。
==生涯==

イスラエルの王ダビデは家臣ウリヤの妻バト・シェバと不義の関係を結び、夫ウリヤを死に追いやった。この2人の最初の子が神の怒りに触れて死んだ後、2人目の子として生まれたのがソロモンであり、彼は父の死後、兄のなど他の王位継承を狙う者たちを打倒して王となった。
ソロモンはエジプトファラオ〔であるという説が有力であるが確定していない。資料はカルナック神殿の碑文である。〕の娘をめとり、ギブオンで盛大なささげものをした。そこで神がソロモンの夢枕に立ち、「何でも願うものを与えよう」というと、ソロモンは知恵を求めた。神はこれを喜び、多くのものを与えることを約束した。ここからソロモンは知恵者のシンボルとなり、ソロモンが子供のことで争う2人の女の一件で賢明な判断を示した逸話は広く世界に伝わり、後に江戸時代の大岡裁きの話にも取り込まれた〔大岡裁判の大本に聖書あり お江戸今昔堂〕。
このことから、長きにわたってユダヤ教の伝承ではソロモンは知恵文学の著者とされていたが、歴史的な裏付は無く、考古学的には疑問視する意見も少なくない。また、一説には神から知恵(指輪)を授かった、もしくはユダヤ教の秘儀カバラが記された『ラジエルの書』を託されたとも言われ、多くの天使や悪魔を使役したとされる。
ソロモンは外国との交易を広げて国の経済を発展させ、統治システムとしての官僚制度を確立して国内制度の整備を行った。また、外国との貿易のための隊商路を整備のため要塞化された補給基地を建て、大規模な土木工事をもって国内各地の都市も強化している。さらに軍事面ならびに外交面では、近隣王国と条約を交わし、政略結婚〔エジプト第21王朝の後ろから2番目のファラオであったの娘と結婚(フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編者、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅰ 古代ー中世 原書房 2004年 26ページ)〕を重ねて自国を強国に育てあげた。イスラエル王国の領土はユーフラテス川からガザにまでおよび、誰もが安心して暮らすことができた〔島崎(2010)pp.44-45〕。ソロモンは初めてエルサレム神殿を築いた。
ソロモンの知恵の深さと浩瀚な知識は周辺諸国にも知られ、親交を求めて来朝する王や使者が絶えなかったという。なかでも最も親交の深かったのは、ツロの王ヒラムであった。こうしたなかにエチオピアの女王もおり、ソロモンの英知を試すため、わざわざみずからやってきたという。『ユダヤ古代誌』には、エチオピアの女王のことばとして、以下のことばを掲載している〔。

わたしは、ヘブル人の民は幸福だと思います。あなたの僕や友人方も同様です。毎日あなたに拝謁し、あなたの知恵に絶えず耳を傾けることができます。

ソロモンの長い統治は経済的繁栄と国際的名声をもたらしたが、彼の野心的な事業は重税と賦役を民衆に課した。またソロモンが自分の出身部族であるユダ族を優遇した〔税金や雑役の免除などに対して他の部族では不満が強まった〕ことも当時の部族長を中心とする寡頭政治の限界を暴き出し、君主政治支持者と部族分離主義者との対立を拡大させた。
晩年、民衆への負担が激増していく中で享楽に耽ったため財政が悪化。さらにユダヤ教以外の信仰を黙認したことは、ユダヤ教徒と他の宗教信者との宗教的対立を誘発した。
ソロモンの死後、息子のレハブアムが継いだが、非妥協的であったため、紀元前922年ヤロブアムを擁した10支族によってイスラエルは南北に分裂、対立していくことになる。皮肉にもソロモンの政策は王国に内在していた矛盾を増幅させ、それがソロモンの死とともに一気に噴出して、国家分裂を誘発してしまったのである。レハブアムは、ユダ王国の初代の王として、残されたユダ族、ベニヤミン族レビ族を統治することとなった。ユダ王国は南に、イスラエル王国は北に生まれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ソロモン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.