翻訳と辞書
Words near each other
・ ソスピーリ
・ ソスピーロ
・ ソスペル
・ ソスラン・ジャナエフ
・ ソスラン・ティギエフ
・ ソセンスキー
・ ソソニ盆地
・ ソソリソ航空1145便
・ ソソリソ航空1145便墜落事故
・ ソソ・リパルテリアニ
ソゾポル
・ ソタイ 組織犯罪対策課
・ ソタロール
・ ソタヴェント諸島
・ ソダンキュラ
・ ソダンキュラ (小惑星)
・ ソダーバーグ
・ ソチ
・ ソチェタ・アエロナウティカ・イタリアーナ・アンブロジーニ
・ ソチエタ・イタリアーナ・エルネスト・ブレーダ・ペル・コストゥルツィオーニ・メッカニケ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ソゾポル : ウィキペディア日本語版
ソゾポル

ソゾポルブルガリア語:、Sozopol)はブルガリア南東部、黒海岸に位置する古代都市、または同名の現代の町、およびそれを中心とした基礎自治体ブルガスの南方およそ30キロメートルの場所に位置している。現代のソゾポルは主にアポロニア(''Apollonia'')美術・映画フェスティバル(9月に開催される)などで知られる沿岸リゾートの地であり、かつての古代都市ソゾポルにちなんで命名された。
ソゾポルは夏季のリゾート・シーズンには特に忙しくなり、主に5月から9月にかけて多くの観光客が世界各国から訪れ、その快適な気候と砂浜、そしてその歴史、文化、それにトルコ料理ギリシャ料理の影響を受けたブルガリア料理と、観光客たちを取り巻くリゾート環境を満喫している。
ソゾポルはその知名度を上げるにつれ、ブルガリアのサントロペと呼ばれるようになり、レイフ・ファインズブラッド・ピットアンジェリーナ・ジョリーゴールドフラップなどの有名人たちが訪れた〔http://travel.independent.co.uk/news_and_advice/article358117.ece〕。
ソゾポルの人口は2005年時点で4641人であった。町はの地点にある。2005年現在の市長はパナイオット・レイジ(Panaiot Reyzi)であった。市長として有名であった人物として、1970年代に大規模に町の建築物の現代化を進めたニコラ・カロヤノフ(Nikola Kaloyanov)が挙げられる。
== 歴史 ==
ソゾポルはブルガリア領トラキアの黒海岸の町としては最古の部類に属する。この地に築かれた最古の集落は青銅器時代のものである。この地域の港の海底発掘調査によって、かつての住居跡や陶器の製作所、石や骨から作られた道具類が発見されている。紀元前2千年紀から紀元前1千年紀にかけての碇(いかり)が町の湾内から数多く見つかっており、古代より船を使用していたことを示唆している。
町ははじめアンテイア(''Antheia'')とよばれ、ミレトス人の長であった入植者のアナクシマンドロス(出生年:紀元前610年ごろ)によって黒海岸に住むトラキア人の植民地となった。まもなく町の名前は町に建造されたアポロンの神殿にちなんでアポロニア(Apollonia)と改称された。町は、カラミスenによって作られた巨大なアポロンの像を持っていることで知られ、その高さは30キュビットであった。後に像はルキウス・リキニウス・ルクッルスによってローマへと運ばれ、カンピドリオの丘に置かれた。アポロニアの町はいくつかの時代においてアポロニア・ポンティカ(''Apollonia Pontica''、黒海の古名''Pontus Euxinus''にちなむ名称で、黒海のアポロニアの意)、あるいはアポロニア・マグナ(''Apollonia Magna''、大アポロニア)と呼ばれた。
紀元前4世紀には硬貨の鋳造が行われ、アポロニアの名前とアポロンの絵柄が刻印された。ローマ帝国時代の帝国硬貨は紀元後1世紀前半まで鋳造された。また5世紀の地図、「Tabula Peutingeriana」にもアポロニアの名前が記されている。しかしながら、「Periplus Ponti Euxini」および「Notitiæ episcopatuum」には新しい名称である「ソゾポリス」の名のみが記されている。「1328 Cantacuzene (ed. Bonn, I, 326)」ではソゾポリスの町は大きく、人口も多いと言及している。この中では、小さな島は細い地峡によって大陸部とつながっている。町はギリシャ語ではソゾポリス(、''Sozòpolis'')と呼ばれ、「保存された町」という意味である。また、トルコ語ではスュゼボル()、ブルガリア語ではソゾポル(、''Sozopol'')とよばれるようになった。現代ではブルガリアの町となっているが、古代においては主にギリシャ人が住み、漁業や農業によって生活をしていた。
町はやがて交易の拠点と軍港としての性格を形成していった。ソゾポルは古代ギリシャのミレトス、アテネコリント
ヘラクレア・ポンティカロドス島キオス島レスヴォス島などとの交易や政治的な強いつながりを維持していた。この交易がトラキア地方に与えた影響は、紀元前5世紀以降のオドリュサイ王国en)によるトラキア地方支配に伴う協定に基づいていた。
町の象徴である碇の図柄は、紀元前6世紀以降にアポロニアで鋳造された全ての硬貨に刻印されている。このことは、この地方の海上貿易の重要性を示唆している。町は栄え、文化の中心となっていった。この時代、町はアポロニア・マグナと呼ばれていた。
7世紀以降、町はビザンティン帝国ブルガリア帝国オスマン帝国に支配され、19世紀には新しく独立を獲得したブルガリアの一部となった。この時には、町にいたほぼ全てのギリシャ人の住民は町を去り、ギリシャ領の東トラキアなどから流入したブルガリア人難民に置き換えられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ソゾポル」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.