翻訳と辞書
Words near each other
・ セミフ・シェントュルク
・ セミプロ
・ セミプロフェッショナル
・ セミホウボウ亜目
・ セミホウボウ目
・ セミホウボウ科
・ セミミクロケルダール法
・ セミミクロ化学はかり
・ セミヤドリガ
・ セミョン
セミョン・コゾルポフ
・ セミョン・デジニョフ
・ セミョン・ブジョンヌイ
・ セミョン・ポルタフスキー
・ セミョーノフ
・ セミョーン
・ セミョーン (モスクワ大公)
・ セミョーン・アラロフ
・ セミョーン・イグナチェフ
・ セミョーン・ウリツキー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

セミョン・コゾルポフ : ミニ英和和英辞書
セミョン・コゾルポフ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


セミョン・コゾルポフ : ウィキペディア日本語版
セミョン・コゾルポフ
セミョン・マトヴェーヴィチ・コゾルポフ(, ラテン文字転写例:Semyon Matveevich Kozolupov, 1886年4月10日(ユリウス暦)/4月22日(グレゴリオ暦) - 1961年4月18日)は、ロシアチェロ奏者〔http://to-name.ru/biography/semen-kozolupov.htm〕。
オレンブルク州クラスノホルムスカヤ村の生まれ。幼少時にヴァイオリンを学ぶも、左手の捻挫でチェロに転向した。チェロはオレンブルク駐留のロシア軍兵士でアマチュアの音楽家だったヴラディーミル・フォン・コッホに学び、1904年にサンクトペテルブルク音楽院に進学してアレクサンドル・ヴェルジビロヴィチとイヴァン・ザイフェルトの下で研鑽を積んだ。1907年に音楽院を卒業後は、1912年までボリショイ劇場のチェロ奏者を務め、1911年にロシア音楽協会創立50周年記念の音楽コンクールに参加して優勝している。1912年から1916年までサラトフ音楽院で教鞭をとり、1916年から1920年までキエフ音楽院に転出したが、1921年にはサラトフ音楽院に戻って後進の指導に当たった。1923年から亡くなるまでモスクワ音楽院で教鞭をとり、1936年から1954年まで当音楽院のチェロ科の学科長を務めた。1946年にはロシア政府から人民芸術家の称号を贈られている。
主な弟子にはスヴャトスラフ・クヌシェヴィツキームスティスラフ・ロストロポーヴィチ、ヴァレンティン・ベルリンスキー等がいる。娘たちも音楽の道に進み、イリーナはピアニスト、ガリーナはチェリスト、マリナはヴァイオリニストになった。
モスクワにて没。

== 出典 ==





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「セミョン・コゾルポフ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.