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スースロフ : ミニ英和和英辞書
スースロフ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

スースロフ ( リダイレクト:ミハイル・スースロフ ) : ウィキペディア日本語版
ミハイル・スースロフ[ちょうおん]

ミハイル・アンドレーエヴィチ・スースロフ(、1902年11月21日 - 1982年1月25日)は、ソビエト連邦政治家フルシチョフブレジネフ時代のソ連共産党イデオロギー担当書記クレムリンに君臨し、その黒幕的な役割から、「灰色の枢機卿」、「陰の実力者」の異名をとった。
== 経歴 ==
ロシアの(現在のウリヤノフスク州)に小作農の家庭に生まれる。1921年ロシア共産党(ボリシェヴィキ)に入党した。1928年プレハーノフ記念モスクワ国民経済大学を卒業する。さらに1931年共産主義アカデミーを卒業。同アカデミーでは、スースロフが後に共産党の理論家として活躍する素地を形成した。1931年アカデミー卒業後、ソ連共産党中央統制委員会に入り、1930年代ヨシフ・スターリン大粛清に参画、レフ・トロツキーニコライ・ブハーリングリゴリー・ジノヴィエフ一派を粛清した。
1937年ロストフ州党書記、1939年スタヴロポリ地方党第一書記を歴任し、少壮の党官僚として昇進を重ねる。第二次世界大戦時には、スターリンの指令の下、チェチェン人イングーシ人などのカフカース地方の諸民族をカザフに強制移住させた。1944年ドイツから奪回したバルト三国のひとつ、リトアニアに共産党リトアニア議長として入り、再度の社会主義化に着手すると同時に、約6万人のリトアニア人を「リトアニア民族主義者」の烙印の下、シベリアに送った。
第二次世界大戦が終了すると、スースロフは再びイデオロギー分野に戻る。1946年共産党中央委員会宣伝部長、1949年共産党機関紙『プラウダ』編集長、1950年マルクス・レーニン主義研究所所長を歴任した。1947年コミンフォルム結成や、1948年から1949年にかけてヨシップ・ブロズ・チトー率いるユーゴスラビアに対するコミンフォルムによる制裁に大きな役割を果たした。
1947年には党中央委員会書記、1952年政治局員に選出された。1954年、ソ連最高会議連邦会議外交委員長に選ばれる。
スターリンの死後に政治局員を解任されるが、1955年には政治局改め党幹部会員として復活した。スターリン亡き後の権力闘争(1957年の「反党グループ事件」など)では、ニキータ・フルシチョフを支持した。スースロフは、1964年10月のフルシチョフ解任劇をアレクセイ・コスイギンとともに直前まで知らされていなかったことがペトロ・シェレストの回想録などから明らかになっている。スースロフ以降、イデオロギー担当書記は政治局員と最高会議連邦会議外交委員長を兼ねて「第二書記」と見做されるようになり、ユーリ・アンドロポフコンスタンティン・チェルネンコミハイル・ゴルバチョフの先例となった。
1956年ハンガリー動乱及び1968年チェコスロバキアの「プラハの春」の弾圧や、1979年アフガニスタン侵攻1981年ポーランド軍政施行など、制限主権論に基づく「ブレジネフ・ドクトリン」を編み出し、ネオ・スターリニストとしてソ連外交をタカ派路線で唱導した。
1968年には日本共産党との関係正常化のために訪日したが、「日本のこえ」派との断絶問題で合意が成立せず、正常化はならなかった。
1982年1月25日、心臓病のため死去。79歳。「キングメーカー」の地位は、ドミトリー・ウスチノフに受け継がれた。スースロフの葬儀は大々的に行われ、1953年のスターリンの葬儀以来最大のものとなった。ソ連全土で4日間の服喪期間が設けられ、1月29日の葬儀の日には小学校から大学まで休校となり、モスクワに出入りする道路は完全に封鎖された。ソ連の全てのテレビ局が、赤の広場で行われた葬儀をソ連全土に中継で放映した。遺体はレーニン廟裏のに埋葬された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ミハイル・スースロフ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mikhail Suslov 」があります。




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