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スピリチュアルケア : ミニ英和和英辞書
スピリチュアルケア
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


スピリチュアルケア : ウィキペディア日本語版
スピリチュアルケア
スピリチュアルケアspiritual care)とは、「生きがいを持ちやすい人生観」への転換を推奨し、人生のあらゆる事象に価値を見出すよう導くことにより、人間のスピリチュアルな要素(心あるいは魂)の健全性を守ること〔飯田史彦『生きがいの創造 III、世界標準の科学的スピリチュアル・ケアを目指して』p.41〕である。
ウァルデマール・キッペス(Waldemar Kippes)は、「スピリチュアルケアとは現代人のスピリチュアルな生活のバイタリティーおよびその深さを育成する援助であり、他者や神や自分自身の内面的なニーズに応対する、人間としての成長を示し、育成するものである」と述べている〔ウァルデマール・キッペス『スピリチュアルケア』p.170〕。
==概説==
なぜ生きているのか」「何のために生きているのか」「毎日繰り返される体験の意味は何か」「自分はなぜ病気なのか」「自分はなぜ死ななければならないのか」「んだあとはどうなるのか」「人間に生まれ、人間として生きているということはどういうことなのか」などの問いは、人間誰しも抱えている〔。スピリチュアルケアというのは、こういった問いに真正面から対面し、探究し、健全な解決へと向けて、絶え間なく働きかけることである〔。
人は、誰でも、元気なときでも、何かしら「スピリチュアルケア」を必要としているという〔ウァルデマール・キッペス『スピリチュアルケア』p.173〕。ましてや、病気になったとき、どうにもならない困難と対峙したとき、死に直面しているときなどは、なおさら、適切なスピリチュアル・ケアを提供してもらえることは、大きな救いとなる〔。ところが、現代西洋医学というのは、「APPARATE MEDIZIN(機械医療)」、つまりハイテクノロジー重視の医療へと変化してしまったため、もはや西洋の古来の伝統的医学とも異なったものになってしまっており、また現在も用いられている各文化圏の伝統医療とも異なったものとなってしまっており、現代西洋医学の従事者の多くは、病んでいる人のスピリチュアル・ニーズや、その切実な叫びを理解できなくなってしまっているという〔ウァルデマール・キッペス『スピリチュアルケア』p.175〕。おまけに、現代社会全体が、若さ・バイタリティー・美などばかりを高く評価しそれに言及することが多い一方で、苦しむこと・病気の状態を生きること・死ぬこと・宗教的なこと、といったことがらについては、普段、十分に考えたり言及しない傾向やタブー視する傾向がある〔。しばしば病は突然やってくるものであり、そのような場合、人はスピリチュアルな痛みを感じつつ、「自分は何のために生きているのか」「死んだあとはどうなるのか」といったスピリチュアルな問いを行う。臨床スピリチュアル・ケアはこういった場で生まれている切実なニーズに応えている。
スピリチュアルケアは、身体的ケア・精神的ケア・心理的ケアにまさっているともされ、また、人間の究極的なケアともされる〔。
飯田史彦は、スピリチュアル・ケアとメンタル・ケアとの違いは、メンタル・ケアが「とにかく大丈夫ですよ」などと答えをあいまいにしたままであるのに対して、スピリチュアル・ケアにおいては「人生についての根本的疑問」に理路整然と回答し、納得を得る必要があることだとしている〔飯田史彦『生きがいの創造 III』p.43〕。
スピリチュアルケアは、それを行うためにはそのための十分な教育と訓練が必要とされるものである〔。
スピリチュアルケアは、各国の現場では、主要な宗派の用語や人々の言語習慣などを汲みつつ「PASTORAL CARE パストラルケア」(英・米)「SEELSORGE 魂の配慮」(ドイツ)などとも呼ばれている〔PASTORALは、ラテン語のPASTOR(羊飼い)という言葉由来の形容詞。この言葉はキリスト教では、牧師・神父・司教など、信者の共同体の責任者の役名として用いられていて、これは新約聖書においてイエス・キリストが「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と、喩えを用いつつ述べた記述があることや(ヨハネによる福音書、10-11)、ペトロがキリスト信者に「あなたがたは羊のようにさ迷っていましたが、今は、魂の牧者であり監督者である方のところへ戻って来たのです。」と言った記述があること(ペトロの手紙 I 、2-25)等々に由来するという。(ウァルデマール・キッペス『スピリチュアルケア』p.156-157)〕〔ドイツ語のSEELSORGERは、SEELE()とSORGE(配慮)から成り立っている。ドイツではPASTORという役名と同義で、SEELSORGER(魂を配慮する人)という言葉が使われているという。また、SEELSORGERと同義でGEISTLICHERとも言う。GEISTも日本語に訳せは魂であり(英語ではSPIRIT)、GEISTLICHERは「霊 SPIRIT」に満たされ、スピリチュアルなものを有している人、スピリチュアルな指導者のこと。(ウァルデマール・キッペス『スピリチュアルケア』p.157)〕。
日本の医療界におけるスピリチュアルケアの状況は、必要性についての認識が十分に育っておらず、位置づけも不十分で伝統が確立していない、とキッペスから指摘された(1999年)〔ウァルデマール・キッペス『スピリチュアルケア』p.165〕。その後、2004年にはスピリチュアルケア研究会が愛知県で、2007年には日本スピリチュアルケア学会が関西で設立されるなど、徐々にではあるが進展が見られるようになっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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