翻訳と辞書
Words near each other
・ スティーヴ・マリオット
・ スティーヴ・マルクセン
・ スティーヴ・マルレ
・ スティーヴ・マンダンダ
・ スティーヴ・マーティン
・ スティーヴ・マーティンのロンリー・ガイ
・ スティーヴ・ミックス
・ スティーヴ・ミラー・バンド
・ スティーヴ・メーア
・ スティーヴ・モラビート
スティーヴ・モーズ
・ スティーヴ・ヤング
・ スティーヴ・ヤング (曖昧さ回避)
・ スティーヴ・ライヒ
・ スティーヴ・ラッシュ
・ スティーヴ・リリーホワイト
・ スティーヴ・ルカサー
・ スティーヴ・レイシー
・ スティーヴ・レイルズバック
・ スティーヴ・レッドグレーヴ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

スティーヴ・モーズ : ミニ英和和英辞書
スティーヴ・モーズ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

スティーヴ・モーズ : ウィキペディア日本語版
スティーヴ・モーズ[ちょうおん]

スティーヴ・モーズ(Steve Morse, 1954年7月28日 - ) は、アメリカ合衆国出身のロックギタリスト
== 経歴 ==
オハイオ州ハミルトン生まれ。家族とともにテネシー州に引っ越す。高校時代に最初のバンド、ディキシー・グリットを結成。その後フロリダ州マイアミ音楽大学にてクラシックジャズ・ギターを学ぶ。学友にはパット・メセニーブルース・ホーンズビージャコ・パストリアスがいた。クラスメートと共に1974年ジャズ・ロック・バンド、ディキシー・ドレッグスを結成。1975年、自主制作アルバム『グレート・スペクタキュラー』を発表し、カプリコーン・レコードから1978年にアルバム『フリー・フォール』を発売する。バンド名は一時的に「ドレッグス」に改名していた。
同バンドは1982年の「インダストリー・スタンダード」を最後に活動を休止。1984年にスティーヴ・モーズ・バンドを結成し、トリオ・バンドのライヴ活動を開始する。同年、エレクトラ・レコードと契約して、アルバム『The Introduction』を発表するものも、エレクトラは商業的なアルバムをリクエストし、1985年の2作目『Stand Up』はヴォーカリストやピーター・フランプトンエリック・ジョンソンアルバート・リーを迎えてレコーディングしている。1985年にはスティーヴ・ウォルシュカンサスの再結成に参加しアルバムを制作した。なお、1987年頃、ツアーとレコーディングを繰り返す音楽産業の生活に飽きたモーズは音楽業界から一旦離れ、定期航空便のプロ・パイロットとして生活していた〔Innerviews: Steve Morse - Unsung Hero 〕。
再び音楽業界に復帰して、MCAレコードから1989年に初のソロ・アルバム『ハイ・テンション・ワイヤーズ』をリリースし、次いでデイヴ・ラルー、ヴァン・ロメインと共にスティーヴ・モーズ・バンドを再結成、1991年には新生スティーヴ・モーズ・バンドのアルバム『サザン・スティール』を発表した。1992年には、ディキシー・ドレッグスを再結成してライヴ活動を行い、同年、スティーヴ・モーズ・バンドのアルバム『コースト・トゥ・コースト』とディキシー・ドレッグスのライヴ・アルバム『ブリング・エム・バック・アライヴ』が発表された。
1994年リッチー・ブラックモアが脱退後、ディープ・パープルからの勧誘を受けて加入。ワールド・ツアーの後、1996年の『紫の証』から現在まで全てのアルバムをメンバーと共作している。また、スティーヴ・モーズ・バンド、ディキシー・ドレッグスでの活動も並行している。
2003年にはディープ・パープルの人脈関係にあるボブ・ディズリーのグループ、リヴィング・ラウドに参加、2006年にはイアン・ギランのアルバム『ギランズ・イン』でグー・グー・ドールズジョン・レズニックと共演している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スティーヴ・モーズ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.