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スイス・ロマンド管弦楽団 : ミニ英和和英辞書
スイス・ロマンド管弦楽団[すいす ろまんどかんげんがくだん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

管弦 : [かんげん]
 【名詞】 1. wind and string instruments 2. music
管弦楽 : [かんげんがく]
 【名詞】 1. orchestral music 
管弦楽団 : [かんげんがくだん]
 【名詞】 1. orchestra 
: [つる, げん]
 【名詞】 1. (1) bow string 2. string (of guitar, violin, etc) 3. (2) (gen) (geom) chord (straight line joining two points on a curve) 4. (3) handle 
弦楽 : [げんがく]
 【名詞】 1. music for strings 
: [たのし, らく]
  1. (adj-na,n,n-suf) comfort 2. ease 
楽団 : [がくだん]
 【名詞】 1. orchestra 2. band 
: [だん]
 【名詞】 1. body 2. group 3. party 4. company 5. troupe

スイス・ロマンド管弦楽団 : ウィキペディア日本語版
スイス・ロマンド管弦楽団[すいす ろまんどかんげんがくだん]

スイス・ロマンド管弦楽団(スイス・ロマンドかんげんがくだん、仏:Orchestre de la Suisse Romande、略称OSR)は、1918年指揮者エルネスト・アンセルメによって創設された、ジュネーヴを本拠とするスイスオーケストラである。「スイス・ロマンド」とは、「フランス語ロマンス語)圏のスイス」の意味である。
1930年代に財政的な問題もあり、一時活動休止に追い込まれたこともあった。1938年にローザンヌにあったスイス・ロマンド放送のオーケストラを合併して、放送局から財政的なバックアップを受けるようになって、安定した活動が可能になった。ラジオ放送のための演奏が増えると同時に、デッカと契約し、数多くの録音が行われるようになったのもこの頃のことである。
演奏会は、多くのカテゴリーに分けて行われていて、シンフォニー・シリーズ、レパートリー・シリーズ、ローザンヌ・シリーズ(ローザンヌ公演)、グランド・クラシック・シリーズなど、ジュネーヴ、そしてローザンヌにおいて年間50回程度の公演を行っている。同時にスイス・ロマンド管弦楽団は、ジュネーヴ大劇場オペラバレエの公演でのオーケストラ・ピットにも入っており、両方の活動を支える団員数は、117名(弦 : vn18-vn16-va13-vc10-cb9、木管 : fl7-ob7-cl8-fg7-hr7、金管 : trp3-trb5-tuba1、打楽器 : timp2-perc3、ハーブ : 1)という大所帯となっている(2009-2010年シーズン)。
創設から関わった指揮者エルネスト・アンセルメが約半世紀にわたって率いて、その膨大なレパートリーのほとんどを録音して残したため、アンセルメの楽器としてのスイス・ロマンド管弦楽団のイメージが定着した。彼らの英デッカへの録音の多くはヴィクトリア・ホールで行われたが、それは驚くほど微妙なバランスを聞き分けるアンセルメの耳によって達成された。初期のコンサート・マスタールイ・ステール。しかし、アンセルメと意見が合わずオーケストラを辞めてカフェでヴァイオリンを弾いて生活し、後に画家へ転身した。1944年にスイスへ亡命したミシェル・シュヴァルベは1946年までコンサート・マスターを務め、1957年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート・マスターに就任するまで密接な関係を保ち、ベルリン・フィルへ転身後も度々客演をしている。
1967年にアンセルメは49年にわたって率いたオーケストラから勇退し、後継者にポーランド出身でスイス国籍を取得したパウル・クレツキを指名した。1968年にオーケストラは初来日(アンセルメ単身では1964年にNHK交響楽団に招聘されて来日している)した時は、パウル・クレツキとともにアンセルメも同行し、7回の公演を指揮している。ただ前評判が大変に高かったが、批評などは芳しくなかった。
アンセルメ時代に、ローザンヌの隣町のヴヴェイに住んでいたカール・シューリヒト、近くのクラランに住んでいたヴィルヘルム・フルトヴェングラーなども客演していた他、ハンス・クナッパーツブッシュなどが客演をくり返しており、いくつかの録音がCD化されている。クレツキは3年でオーケストラを去り、後をヴォルフガング・サヴァリッシュが引き継いだ。彼はコンサート・マスターにヴィンタートゥーアの音楽院でヴァイオリンを教えていたペーター・リバールを招聘し、オーケストラのアンサンブルの立て直しを行った。ドイツ系の奏法をリバールがオーケストラに定着させて行ったが、アンセルメ時代の再来を期待する世間からは高く評価されることはなかった。
続いてホルスト・シュタインが5年間率いた後、1985年に待望のスイス人指揮者アルミン・ジョルダンが音楽監督に就任した。ルツェルン(スイス・ドイツ語圏)に生まれたジョルダンは、ドイツ語とフランス語の言語国境にあるフリブールの音楽院で学び、ローザンヌやパリなどで活躍していた。彼はスイス・ロマンド管弦楽団の新しいシェフとしてアンセルメ時代のレパートリーを復活させるとともに、マーラーやドイツ系のレパートリーを定着させていった。ジョルダンの片腕となったコンサート・マスターは、ジュリアード音楽院イヴァン・ガラミアンのもとで学んだロバート・ツィマンスキーである(現在チューリッヒ音楽院の教授でのコンサート・マスター)。
ジョルダンは12年にわたってオーケストラを率い、仏エラート・レーベルなどに多くの録音を残したと同時に、この頃からエリアフ・インバルネーメ・ヤルヴィなどが客演し、いくつかのレーベルに正規のセッション録音を残している。
ジョルダンが勇退した後、ファビオ・ルイジが就任したが、オーケストラへの州の補助金がカットされるなど、運営が厳しくなった時代をルイジは見事に乗り切った。彼はこの時代にいくつかの録音を残しているが、中でもアルテュール・オネゲルの交響曲全集は高く評価されている。
続いてピンカス・スタインバーグがシェフに就任するも、3年で退任した。
困難な時期に期待を背負って就任したのがマレク・ヤノフスキであった。彼はオーケストラのアンサンブルをアルミン・ジョルダン時代のように輝きに満ちたものに立て直し、ブルックナーなどのレパートリーを定着させ、活発な録音も再開した。現在のコンサート・マスターはセルゲイ・オストロフスキーとBogdan Zvoristeanuの2人である。なお、ヤノフスキもポーランド系ドイツ人であり、アンセルメ以降はフランス系の首席指揮者が一人も就いていない。
2012年秋から山田和樹が3年契約で首席客演指揮者に就任、その後契約を2年延長し、2017年夏までの任期となる。
== 首席指揮者 ==

* エルネスト・アンセルメ (1918年 - 1967年)
* パウル・クレツキ (1967年 - 1970年)
* ヴォルフガング・サヴァリッシュ (1970年 - 1980年)
* ホルスト・シュタイン (1980年 - 1985年)
* アルミン・ジョルダン (1985年 - 1997年)
* ファビオ・ルイージ (1997年 - 2002年)
* ピンカス・スタインバーグ (2002年 - 2005年)
* マレク・ヤノフスキ (2005年 - 2012年)
* ネーメ・ヤルヴィ (2012年 - 2015年)
* ジョナサン・ノット (2016年 - )


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スイス・ロマンド管弦楽団」の詳細全文を読む




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