翻訳と辞書
Words near each other
・ ジルフィウス2世フリードリヒ (ヴュルテンベルク=エールス公)
・ ジルフェ
・ ジルベスター
・ ジルベスターコンサート
・ ジルベルシュタイン
・ ジルベルシュテイン
・ ジルベルト
・ ジルベルト・ゴドイフィリョ
・ ジルベルト・ゴドイ・フィリョ
・ ジルベルト・ゴドイ・フィーリョ
ジルベルト・シモーニ
・ ジルベルト・シルバ
・ ジルベルト・シルヴァ
・ ジルベルト・ジル
・ ジルベルト・フレイレ
・ ジルベルト・メンデス
・ ジルベルト・ヴィアダーナ
・ ジルベール
・ ジルベール (ブルゴーニュ公)
・ ジルベール (モンパンシエ伯)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジルベルト・シモーニ : ミニ英和和英辞書
ジルベルト・シモーニ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジルベルト・シモーニ : ウィキペディア日本語版
ジルベルト・シモーニ[ちょうおん]

ジルベルト・シモーニ(Gilberto Simoni、1971年8月25日-)は、イタリアトレンティーノ=アルト・アディジェ州トレント県ジョーヴォ出身の自転車プロロードレース選手。
ジロ・デ・イタリアでは総合優勝2回、2位1回、3位4回という輝かしい成績を誇り、ステージレースを中心に活躍した世界トップクラスのクライマー。2006年から始めたマウンテンバイク競技でも好成績を収めている。
== 経歴 ==
1993年のベビー・ジロ(アマチュア版ジロ・デ・イタリア)優勝とイタリア選手権アマチュアチャンピオンの実績を引っさげ、翌1994年にプロへと転向。しかし、一向に勝利を挙げることができず、毎年のように移籍を繰り返す苦難の日々が続いた。
しかし1999年ジロ・デ・イタリアでステージ1勝を挙げ、総合でも3位に入り、才能が開花。2000年からはランプレ・ダイキンのエースとしてジロ・デ・イタリアで再び総合3位。ブエルタ・ア・エスパーニャでも1勝を挙げた。
そして2001年ジロ・デ・イタリアで2位のアブラハム・オラーノに7分以上の差をつけて総合優勝を達成。ジャパンカップなど数々のレースでも活躍を見せた。
続く2002年ジロ・デ・イタリアでも第11ステージで勝利を飾るが、コカイン使用疑惑により途中で出場停止となってしまう〔おばからペルー土産としてもらったキャンディーが原因と後に判明。cyclingnews.com2002年12月4日付特集 〕。
だが2003年には雪辱を期して挑んだジロ・デ・イタリアでステージ3勝。ステファノ・ガルゼッリヤロスラフ・ポポヴィッチらを抑え2回目の総合優勝を果たし、ポイント賞マリア・チクラミーノも獲得〔このときの勝利は「The Quest」というドキュメンタリー映画になっている。〕。さらにツール・ド・フランスでもステージ優勝を達成した。
2004年ジロ・デ・イタリアでも第3ステージで勝利するなど、好調だったが、このときはチームメイトでシモーニのアシストを務めていたダミアーノ・クネゴが絶好調。陽動のために先行させたクネゴに大差をつけられた末、最終的にステージ4勝をあげての総合優勝を許してしまう。シモーニも総合3位に入る活躍を見せたとはいえ、これによりチーム内には2人のエースが存在する状態になり、クネゴとの関係は微妙なものになった。
2005年はクネゴが春先から不調だったことを受けて、ジロ・デ・イタリアでは単独エースとして活躍。パオロ・サヴォルデッリとの総合優勝争いの末、総合2位に入った。しかし相変わらずクネゴとの不仲がささやかれるなか、2006年にサウニエルデュバル・プロディールへ移籍。クネゴとは袂を分かち、ジロ・デ・イタリアで4回目となる総合3位に入り、7度目の表彰台に登った。
2007年ジロ・デ・イタリアでは第17ステージで距離10km、平均斜度11.9%、最大斜度22%という激坂ゾンコラン山への山頂ゴールを制してステージ優勝し、総合では4位となる。
2008年からは、プロフェッショナルコンチネンタルチームのセッラメンティ・ディキジョヴァンニに移籍。ジロ・デ・イタリアでは第19ステージでの遅れが響いて総合10位に終わるものの、モルティローロ峠を越える第20ステージでステージ2位に入るなど、健在ぶりを示した。
2009年ジロ・デ・イタリアでは第15ステージで大きく遅れ、総合24位に終わった。
2010年、古巣のランプレ・ファルネーゼ=ヴィーニへの復帰が噂されていたが〔cyclingnews 2010年1月12日付記事 〕、4月19日にチームへの加入が発表され〔Simoni joins Lampre-Farnese Vini 〕、同時にジロ・デ・イタリア限りでの現役引退も発表された。
現役最後のレースとなったジロ・デ・イタリアでは、チマ・コッピのガヴィア峠を越える第20ステージでステージ優勝することになるヨハン・チョップと共に一時先頭を走行するなどの見せ場を作り、総合69位で完走して現役生活に別れを告げた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジルベルト・シモーニ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.