翻訳と辞書
Words near each other
・ ジリアン・ベル
・ ジリアン・ホフマン
・ ジリアン・ホール
・ ジリアン・ボックス
・ ジリアン・マーフィー
・ ジリアン・ローズ・リード
・ ジリアン・ヴィグマン
・ ジリアン夫人
・ ジリエーン語
・ ジリオラ・チンクェッティ
ジリオラ・チンクエッティ
・ ジリオン
・ ジリオ島
・ ジリス
・ ジリス属
・ ジリナ
・ ジリナ - コシツェ線
・ ジリナ - モスティ・ウ・ヤブルンコヴァ線
・ ジリナ - ライェツ線
・ ジリナ州


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジリオラ・チンクエッティ : ミニ英和和英辞書
ジリオラ・チンクエッティ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ジリオラ・チンクエッティ ( リダイレクト:ジリオラ・チンクェッティ ) : ウィキペディア日本語版
ジリオラ・チンクェッティ

ジリオラ・チンクェッティGigliola Cinquetti, 1947年12月20日 - )はイタリアポピュラー音楽歌手。イタリア・ヴェローナ出身。20ヶ月年上の姉がいる。
== 略歴 ==
チンクェッティは、1963年のカストロカーロ新人コンテストで優勝。1964年、16歳の時にサンレモ音楽祭夢みる想い (non ho l'età) を歌い優勝、ユーロビジョン・ソング・コンテスト1964 に同じ曲で臨み、イタリアからの出場者としては初の優勝を果たしたことにより一躍有名となった。またユーロビジョン・ソング・コンテスト勝者としては初めてUKトップ75にチャート・インした。1966年には愛は限りなく (Dio, come ti amo) が世界的ヒットとなった。当時、カンツォーネ・ブームの日本では、ボビー・ソロと共に本国イタリアを凌ぐ人気となり、日本語の録音も残している。また、伊東ゆかり弘田三枝子などの日本人歌手が彼女の曲をカヴァーしている。1979年に結婚、翌年二人の男の子の育児に専念するため引退してローマに転居した。その後、1989年のサンレモ音楽祭に出場を契機に完全に復帰、1990年にはデビュー25周年ツアーを欧州で行った。1991年、復帰後初のアルバム「Tuttintorno」を発売。以後も1993年に来日コンサート開催、95年「Giovane vecchio cuore」でのサンレモ出場など、積極的に活動した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジリオラ・チンクェッティ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Gigliola Cinquetti 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.