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ジョン・ショウ・ビリングス : ミニ英和和英辞書
ジョン・ショウ・ビリングス
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ジョン・ショウ・ビリングス : ウィキペディア日本語版
ジョン・ショウ・ビリングス
ジョン・ショウ・ビリングス(John Shaw Billings、1838年4月12日 - 1913年3月11日)は、アメリカ合衆国軍医司書。アメリカ陸軍軍医総監代理を務めた後にニューヨーク公共図書館初代館長となった。
== 生涯 ==

=== 青年時代 ===
インディアナ州スウィッツァランド郡コットン・タウンシップ(en)に双子の弟として生まれる。父親のジュームスと母親のアビー(旧姓:ショウ)はイギリス系で東部からの移住者であったが、開拓事業は成功せず、一家は各地に移り住む生活を送った。彼の双子の姉はこの過程で夭折している。母親は幼少の頃から本を読むことが大好きで、当時アメリカ各地に誕生しつつあった公共図書館に仕事の合間を見ては通っていた。彼は母親から文字と聖書について教わった。彼は森でアライグマやリスを追いかけたり、本を読んだりするのが好きな少年に育った。10歳の時に同州のアレンヴィルに生活の拠点を育てた。彼はそこで長老派牧師のジョン・クリントン・ボナムという人物に出会う。教師としてビリングスと接した彼はその才能を高く評価し、ラテン語を教えるとともに母校のマイアミ大学に彼を推薦した。1852年にマイアミ大学に入って一般教養を学んだ彼は卒業後の1857年シンシナティオハイオ医学校に入った。当時の彼は無口で孤独な存在であり、実習先の病院の看護婦は彼に「病院の聖ヨハネ」と渾名を付けたという。彼は学業の最後にてんかん外科治療に関する卒業論文を作成していたが、そのために必要な論文や書籍を探し出すためにアメリカ中の図書館や大学に問い合わせなければならなかった。この出来事が彼を医学目録作成に向かわせる動機付けの1つとなった。
1860年に彼は医学校を卒業し、母校の解剖学助手をしながら将来を模索していた。ところが翌年に南北戦争が勃発、北軍を支持する彼は1861年9月に合衆国陸軍(北軍)の外科医師に応募して、翌年4月にジョージタウンの連邦陸軍病院に配属された。ここでミシガン州選出の元下院議員ヘスター・ロックハート・スチーブンスen)の娘であるキャサリン・メアリー・スチーブンスと出会い1862年9月3日にジョージタウンの教会で結婚式をあげた。彼は以後戦争終結まで各地の病院を回って負傷兵の治療にあたった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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