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ジョハル・ドゥダエフ : ウィキペディア日本語版
ジョハル・ドゥダエフ
ジョハル・ドゥダエフ(Dzhokhar Musayevich Dudaev、、1944年2月15日 - 1996年4月21日)は、チェチェン共和国ならびに国際的に未承認の独立派のチェチェン・イチケリア共和国双方の初代大統領。チェチェン独立派の最高指導者のひとり。
== 経歴 ==

=== ソ連時代 ===

ドゥダエフは、1944年、チェチェン・イングーシ自治共和国のペルヴォマイスコエ村で生まれた。一家は第二次大戦中の強制移住でカザフスタンに追放される(1957年に故郷に帰還)。
彼は、M.ラスコヴァヤ名称タンボフ高等軍事航空学校を卒業し、ソ連空軍に勤務する。1968年、ソ連共産党に入党(公式には脱党していない)。1977年、ガガーリン名称空軍アカデミーを卒業し、チェチェン人としては初の師団長、空軍少将まで昇進した。最後の任地は、エストニアタルトゥであった。エストニア語を学び、エストニア人のナショナリズムに寛大で、エストニアのテレビ局と議会の封鎖命令を拒否したことから、エストニア人からは「反乱将軍」と評された。
1990年5月、タルトゥに来たチェチェン人の要請を受けて退役し、野党チェチェン人民全民族会議執行委員会を率いた。ソ連8月クーデター時、いち早くボリス・エリツィンを支持し、自由広場は彼の支持者で満たされ、「国家親衛隊」が組織された。その後、共和国最高会議は解散され、ドゥダエフが権力を掌握した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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