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ジョナサン・グリーナート : ミニ英和和英辞書
ジョナサン・グリーナート[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョナサン・グリーナート : ウィキペディア日本語版
ジョナサン・グリーナート[ちょうおん]
基礎情報 軍人
| 氏名 = ジョナサン・グリーナート
| 各国語表記 = Jonathan Greenert
| 生年月日 = 1953年 没年月日 =
前身である大西洋艦隊が創設され、ロブリー・エヴァンズ少将が初代大西洋艦隊司令長官(Commander-in-Chief, U.S. Atlantic Fleet)に就任して以来の数字である。〕、第36代海軍作戦副部長(2009年8月13日 - 2011年8月22日)を経て、2011年9月23日付でゲイリー・ラフヘッド大将の後任として第30代アメリカ海軍作戦部長(Chief of Naval Operations、CNO)に就任し、現職。

== 経歴 ==
1953年5月15日ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外の町、バトラーで生まれる。高校卒業後はメリーランド州アナポリス海軍兵学校に進学、1975年海洋工学学士号を得て卒業する。海軍兵学校在学中には、潜水艦乗組員として必要になる原子力推進機関に関する学習・講習課程も修了している。
海軍兵学校卒業後は海軍に少尉として任官、以降は潜水艦乗組士官(Submarine Warfare Officer)としての経歴を重ねる。スタージョン級原子力潜水艦フライング・フィッシュ(SSN-673)に電気材料担当士官(Electrical Material Officer)として乗り組んだのを皮切りに、同じくスタージョン級原子力潜水艦のトートグ(SSN-639)に電気および作戦担当士官として、また世界的にも珍しい原子力推進式の海洋工学・海洋調査用潜水艇であり、スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故の際には分解・海没した同号の重要部品の探索・引き上げに活躍したことなどで知られるNR-1アメリカ海軍による潜水艇NR-1の解説・紹介記事 現在もインターネット上に残存しているアーカイブである。〕の搭乗チームにも機関員(機関担当士官、Engineer Officer)として選抜されている〔この時、全ての潜水艦乗組士官に着用が許される潜水艦乗組士官記章に加え、NR-1など特定の潜水艦・潜水艇で任務に就いた者にのみ着用が許される深海潜水記章を得ている。〕。
佐官クラスに昇任後は引き続き複数の潜水艦に乗務、今度は副長・艦長など上級士官として指揮経験を積む。少佐時代には戦略ミサイル原子力潜水艦(弾道ミサイル原子力潜水艦)であるオハイオ級原子力潜水艦ミシガン(SSBN-727〔後にミシガンは、冷戦終結や第二次戦略兵器削減条約(START Ⅱ)の調印、戦闘環境の変化などに伴うアメリカ海軍の戦略核弾頭および弾道ミサイルの運用能力・保有数削減傾向に従って、トマホーク巡航ミサイルを運用可能な巡航ミサイル原子力潜水艦へと改造されている(改良型オハイオ級)。現在は、番数はそのままに艦種記号がSSBNからSSGNへと改められている。〕)のゴールド・クルー〔アメリカ海軍の戦略ミサイル原子力潜水艦には、通常ブルー・クルーとゴールド・クルーという2つのクルーが用意されており、各クルーが交互に乗務する体制がとられている。詳しくはオハイオ級原子力潜水艦のページの稼働率の項目を参照されたい。〕副長(Exective Officer、XO)として、中佐に昇任後の1991年3月にはロサンゼルス級原子力潜水艦ホノルル(SSN-718)に艦長(Commanding Officer、CO)に就任、乗務する。
このような乗艦任務を経て大佐へ昇任、大佐昇任後は専ら地上勤務に就き、戦隊(Squadron)・艦隊(Fleet)レベルでの参謀・司令任務や、海軍作戦本部での任務に当たる。海軍作戦本部では、1993年に海軍作戦部長直属の組織である戦略研究グループの第13期生に選抜されたほか〔戦略研究グループ は、1981年に当時のトーマス・ヘイワード海軍作戦部長によって編成された研究組織。略称はSSG。ロードアイランド州ニューポート海軍大学校に拠点を置き、海軍作戦部長の直属組織とされ、毎年数名〜数十名(今年選抜された第31期生は全体で24名)の士官が選抜され、グループに加わる。現在では、海軍作戦部長が大佐クラス10名を選抜し、これに加えてグループ長が10名超をこちらは主に尉官や少佐・中佐クラスから選抜している。選抜者の所属は海軍が多いが、過去には海兵隊空軍沿岸警備隊の軍人も選抜されている。このグループからは、第1期生のアーサー・セブロウスキー退役海軍中将など、後に将官に昇任した者も多く輩出されている。〕〔“Flag Officers” 戦略研究グループ出身の将官昇任者一覧。〕〔“Past Strategic Studies Groups” 過去(第1期から)の戦略研究グループのメンバーやグループ長の一覧。〕、プログラム計画・開発課長(N801)などを歴任している。また、参謀・司令としては、カリフォルニア州サンディエゴを母港とする第11潜水戦隊(Submarine Squadron 11、SUBRON11)の司令官を1996年7月から1997年6月まで務めたほか〔この間、直属の上官にあたる太平洋艦隊潜水艦部隊司令官(COMSUBPAC)の西海岸管区代理も兼任している。〕、第7艦隊参謀長にも就いており、この間日本での勤務を経験している。ちなみに日本には、後に第7艦隊司令官に補職された折にも来日し、任務に就いている。
第7艦隊参謀長を務めていた折に、准将(RDML)に指名され、将官への昇任を果たす。准将昇任後は、1998年10月から1999年12月にかけてグアム島などをミクロネシア地域を管轄するマリアナ諸島管区海軍部隊司令官を務め〔“MEMORANDUM FOR CORRESPONDENTS” 1998年10月9日に国防総省より発表された、将官の補職人事。国防総省が運営する比較的古い情報をアーカイブとして集めたサイト“Defense LINK”にて閲覧できる。〕〔この間、ミクロネシア地域担当太平洋軍司令官代理を兼ねている。〕、続いて2000年1月から2002年8月にかけては、海軍省財務・会計管理担当海軍次官補室予算部門の作戦分野担当課長および海軍作戦本部予算管理部の作戦分野担当課長(N821)を兼務するなど、財務・予算管理畑での勤務も経験している〔“MEMORANDUM FOR CORRESPONDENTS” 1999年5月7日に国防総省より発表された、将官の補職人事。国防総省が運営する比較的古い情報をアーカイブとして集めたサイト“Defense LINK”にて閲覧できる。〕〔“FLAG OFFICER ANNOUNCEMENTS” 2001年6月8日に国防総省より発表された海軍将官の昇任指名人事。この中にグリーナートの准将から少将への昇任指名も含まれており、当時の役職についても記述がある。〕。
2001年6月には少将への昇任指名を受ける〔。指名が上院での承認を得た後の2002年7月、太平洋艦隊副司令官兼参謀長に補職され、海軍本省勤務から太平洋地域での勤務に戻る〔“FLAG OFFICER ANNOUNCEMENTS” 2002年7月2日に国防総省より発表された将官の補職人事。〕。2002年8月から2004年7月までの約2年間同職を務めたのち、さらに中将への昇任を果たし、かつて大佐時代に参謀長を務めた第7艦隊の司令官に就任する。ここでも2004年8月から2006年9月までの約2年間にわたって勤務し、その後は4年ぶりにワシントンD.C.の海軍作戦本部に異動となる。海軍作戦本部では、主要ポストの1つである海軍作戦次長(第8部<能力統合・資源部>担当)〔英語の役職名は、“Deputy Chief of Naval Operations for Integration of Capabilities and Resources (N8)”。〕を1年あまり務めた。
2007年9月には、マイケル・マレン海軍作戦部長の統合参謀本部議長就任に伴い、後任の海軍作戦部長に就任したゲイリー・ラフヘッド大将の後を受けて第39代艦隊総軍司令官に就任、2007年9月29日から2009年7月29日まで同職を務める。その後さらに、太平洋艦隊司令官に就任するパトリック・ウォルシュ大将の後任として2009年8月13日付で第36代海軍作戦副部長に就任、2011年8月22日まで2年あまりにわたって務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョナサン・グリーナート」の詳細全文を読む




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