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ジョセフ・ホイットワース : ミニ英和和英辞書
ジョセフ・ホイットワース[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョセフ・ホイットワース : ウィキペディア日本語版
ジョセフ・ホイットワース[ちょうおん]

サー・ジョセフ・ホイットワース準男爵(、1803年12月21日1887年1月22日)は、イギリスの技術者起業家。ウィットウォースとも表記される。近代的な精密工作技術の発展に貢献し、ウィットねじ(BSW)として知られる世界初のねじ規格を考案した。兵器製造でも知られている。
==経歴==
ジョセフ・ホイットワースは、1803年にイングランド北西部グレーター・マンチェスターストックポートで生まれた。父親は教師で、会衆派教会の聖職者でもあった。ジョセフ・ホイットワースは幼少のおりから機械に興味を抱いていた。
学校を出た後、ジョセフ・ホイットワースは、ダービーシャーで綿の紡績工場を営む伯父のもとへ弟子入りした。この伯父の下での修行中に、ホイットワースの機械への情熱は明らかなものとなった〔Bradshaw (1985); pp. 57-58〕。彼はそこで4年間を過ごした後、マンチェスターの工場に就職して機械工として4年間働いた。
次にホイットワースは、ロンドンに移ってヘンリー・モーズリーの工場に就職した。親方のモーズリーはねじ切り旋盤の発明者である。ここでホイットワースは、ジェームス・ナスミスやといった優れた技術者たちを同僚として働き、機械関係の高度な知識・技術を習得した。加工の精度を重視する姿勢もモーズリーの影響によって身に付いたものである。ホイットワースはモーズリー工場で様々な工作機械を改良し、また、鉄製フレーム部品に削り出しの手法を導入することで、軽量かつ強固な機械の製造も実現するなどの成果を上げた。
その後、ホイットワースは、社や、モーズリー工場の兄弟子にあたるの工場でも働いた。クレメンテの下では、チャールズ・バベッジ階差機関型計算機の開発に協力した。
1833年にホイットワースは独立してマンチェスターへ帰り、旋盤などの工作機械製造事業を始めた。彼の製品は高い精度を有しながら価格は安く、しかも美しいとあって評判を博した。1841年にはねじの規格化にいち早く取り組み始め、イギリスでの部品標準化に大きく貢献した。1844年にサウの単位を導入したのも、彼の業績であるとされている。1850年代前半には、イギリス政府が派遣したアメリカ視察団の中心的役割を担い、発達したライン生産方式をイギリスの銃器生産に取り入れることに貢献した〔横井(1997年)、86頁。〕。ホイットワース社は軍需企業としても活動し、クリミア戦争時には優れた大量生産技術を生かして、90日間で90基もの砲艦蒸気機関を製造した。
ホイットワースの優れた設計に対して様々な賞が贈られた。王立協会のフェローとなり、の会長にも就任した。また、彼は経済的にも非常に成功した。
私生活では1850年に建築家エドワード・ウォルターズと契約して、マンチェスター郊外に「ザ・ファーズ(The Firs)」という名の邸宅を建築した。1854年にはダービーシャーのにある邸宅「」を購入し、1872年に二人目の妻であるルイザと移り住んだ。
ホイットワースは、1887年1月に、静養先のモンテカルロで死去した。彼の遺体は、ダービーシャーのダーレー・デイルにあるセント・ヘレンズ教会(St Helen's Church)に埋葬された。アメリカの雑誌“The Manufacturer and Builder”(Volume 19, Issue 6, 1887年6月号)に詳細な死亡記事が載った。生前ホイットワースは、管財人に対して、資産を慈善事業に使うよう指示しており、ホイットワースの死後も同様に使われた。遺産の一部はの設立に充てられ、現在はマンチェスター大学の付属施設となっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョセフ・ホイットワース」の詳細全文を読む




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