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ジャンプ放送局 : ミニ英和和英辞書
ジャンプ放送局[じゃんぷほうそうきょく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

放送 : [ほうそう]
 1.broadcast 2. broadcasting 
放送局 : [ほうそうきょく]
 broadcasting station, broadcasting office
: [きょく, つぼね]
 【名詞】 1. court lady 2. lady-in-waiting

ジャンプ放送局 : ウィキペディア日本語版
ジャンプ放送局[じゃんぷほうそうきょく]

ジャンプ放送局(ジャンプほうそうきょく、略称:JBSJump Broadcasting Station))は、1982年10月から1995年12月まで集英社の少年向け漫画雑誌週刊少年ジャンプ』において連載された読者投稿コーナー
== 概要 ==
全体を放送局(JBSという名称と開始当時のロゴがTBSのパロディ)、各コーナーをテレビ番組に見立て、テレビ番組や芸能、友人に関すること、スポーツ、ゲーム、ジャンプ連載の漫画など、多岐に渡るテーマで投稿ハガキを募集し、構成担当(放送局長)のさくまあきらによって選ばれたハガキが誌面に掲載されるという形を取っている。また当時の漫画誌の投稿コーナーには無かった「半年を1レースとし、掲載されるごとにコーナーに応じて得点が加算され、1レースを通じての総合得点を競う」という形態をとった。レースで競い合うことなどから、投稿者を「投稿戦士」「戦士」と呼称している。
開始当初は土居孝幸によるオリジナルキャラクターの局員達が誌面をにぎわせていたが、程なくスタッフ(実在)たちも頻繁に誌面に露出するようになった。
ハガキ1枚採用につき、そのコーナーの掲載得点分のJBS缶バッジ(約30種類。次々に新作が加わった。絵柄はランダムに選ばれたものが送付された。最初はステッカー→カセットレーベル→缶バッチと変更された)と、リーフレットの「JBS新聞」が送られた。優勝した場合は、豪華賞品のほか、集英社ジャンプ編集部に招待(同時に取材を行い、その模様が冒頭2ページに独占掲載された)、また、新規参戦の戦士でレース内で最も高得点を獲得した投稿者には、新人賞が(ただし、過去に1枚でも採用された者が、次のレースでペンネームを変えて高得点を獲得しても新人賞にはならない)、ランキングベスト10に入った場合は単行本1ページを自己PR等に使用できる(1期6代目までは3分の1ページ)という権利が与えられた。
ジャンプでは読者コーナーも他の連載漫画作品と同じく雑誌付属の葉書による読者人気アンケート調査の対象とされており、厳しいランキング競争を勝ち抜き、長期に渡り連載を続けていたことも大きな特徴である。そのため、ジャンプ本誌に掲載されている漫画は『ジャンプ放送局』の読者アンケート順位を上回れるかが連載継続の1つの目安とされていた。このことについては、「投稿コーナーより人気の無い作品はまずい」「数々の連載が打ち切りに追い込まれて申し訳ないと思っている」とさくまが話している。
読者参加型の投稿ページとしては13年2ヶ月(3期計27レース)の長期にわたる連載期間も異例であったが、その間、読者アンケートでも安定した人気を誇る事態は編集部も想定外であった。また同社のコミックスと同じレーベルから他に類を見ない単行本がジャンプ・コミックスから刊行されるという異例尽くしであった。その巻数も全24巻におよぶなど、漫画雑誌の巻末投稿コーナーの1つの金字塔を打ちたて、当時のジャンプ黄金時代を支えた要素の1つであると言っても過言ではない。実際、ジャンプ放送局開始以降、影響を受けた投稿コーナーはジャンプ系のみならず、他誌にも多数見受けられ、「放送局」形式は今やひとつのフォーマットとして定着している。
しかし連載が長期にわたる中で、さくまあきらが眼精疲労、頚椎椎間板ヘルニア等により体調を崩してしまい、毎週送られてくる4万通という膨大な量の投稿ハガキに目を通し選定を続けるのは体力的に無理となったという事情から、1995年12月に終了した。なお、コミックスの発売時期などから誤解されがちであるが、さくまが脳内出血で倒れたのはJBS終了後、『チョコバナナ』の編集長を務めていた時のことである。また、JBS終了の告知は本誌より先にJBS新聞で先に発表されていた〔JBS新聞 VOL.47で初出。その後、週刊少年ジャンプ1995年27号の「ほんのチョイ係」で正式に次回が最終レースと告知された。〕 。
2010年8月30日に、ニコニコ動画で連載当時のスタッフが集結して『帰ってきたジャンプ放送局』が放送された。同年11月27日には第2回が放送された(後述)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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