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ジェイムズ・D・ブラック : ミニ英和和英辞書
ジェイムズ・D・ブラック[じぇいむずでぃーぶらっく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ジェイムズ・D・ブラック : ウィキペディア日本語版
ジェイムズ・D・ブラック[じぇいむずでぃーぶらっく]

ジェイムズ・ディクソン・ブラック(、1849年9月24日 - 1938年8月5日〔Hay, p. 151; some sources give August 4.〕)は、アメリカ合衆国政治家弁護士であり、1919年に第39代ケンタッキー州知事を7か月間のみ務めた。先代のオーガスタス・オウスリー・スタンレーアメリカ合衆国上院議員に選ばれ、知事を辞任したことに伴い、ブラックが知事に昇格した。
ブラックは1872年にテネシー州のタスカラム・カレッジを卒業し、法律を勉強しながら教師を務めた。1874年に法廷弁護士として認められ、バーバービルで法律事務所を開いた。その後、息子と義理の息子がその事業の共同経営者になった。ブラックは教育に大変興味があり、2年間ノックス郡公立教育学区の監督官を務め、バーバービルにユニオン・カレッジを設立する推進者になった。ブラックはこのカレッジの学長を1910年から1912年まで務めた。
1915年、ブラックは州知事選挙で民主党の副知事候補に選ばれた。それまで政治の経験はほとんど無かった。州知事オーガスタス・スタンレーと共に当選し、スタンレーがアメリカ合衆国上院議員に就任するために知事を辞任したことに伴い、ブラックが知事に昇格した。知事であった7か月間、その再選を目指した選挙運動に費やされた。その対抗馬である共和党エドウィン・P・モローから、スタンレー政権に対してなされた汚職の告発に、満足に答えることができなかった。選挙ではモローが4万票以上の差をつけて当選した。ブラックはバーバービルでの法律実務に復帰し、その兄が設立した銀行の頭取を務めた。アルバン・バークレーがアメリカ合衆国上院議員を目指した時に選挙マネジャーを務めていたが、その間の1938年8月5日に死んだ。
== 初期の経歴と家族 ==
ジェイムズ・ディクソン・ブラックは1849年9月24日に、ケンタッキー州ノックス郡のリッチランド・クリーク沿いバーバービルから9マイル (14 km) の地点で生まれた〔Hay, p. 149.〕。父はジョン・クレイグ・ブラック、母はクラリッサ・キャシー(旧姓ジョーンズ)であり、その12人の子供の末っ子だった〔Kerr, p. 3〕。兄のアイザック・J・ブラックは南北戦争の時に北軍ケンタッキー第49志願騎馬歩兵連隊の大尉だった〔Johnson, p. 1552〕。
ブラックはバーバービルとその周辺にある田舎の学校と会員学校で教育を受けた〔。1872年、テネシー州グリーンビル近くにあるタスカラム・カレッジで学士号を受けて卒業した〔。卒業後はノックス軍に戻り、公立学校で2年間教師をしていた〔Harrison in ''The Kentucky Encyclopedia'', p. 83〕。これと同時に法律を勉強し、1874年8月に法廷弁護士として認められた〔。バーバービルで法律事務所を開いた〔"Kentucky Governor James Dixon Black"〕。
1875年12月2日、ブラックはバーバービルでメアリー・ジャネット・"ネッティ"・ピッツァーと結婚した〔Johnson, p. 1553〕。この夫婦には3人の子供、ピッツァー・ディクソン、ガートルード・ドーン、ジョージア・クラリスができた。家族は皆メソジスト監督教会員だった〔。ピッツァー・ディクソンはダンビルのセンター・カレッジを卒業し、その後バージニア大学で法律を勉強した〔Kerr, p. 4〕。法廷弁護士として認められた後に父の法律事務所の共同経営者になった〔。ジョージア・クラリスはH・H・オーウェンスと結婚し、オーウェンスもバーバービルの会社に加わり、ブラック・ブラック・アンド・オーウェンスという会社になった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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