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シーダーズの戦い : ミニ英和和英辞書
シーダーズの戦い[しーだーずのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

シーダーズの戦い : ウィキペディア日本語版
シーダーズの戦い[しーだーずのたたかい]

シーダーズの戦い()は、アメリカ独立戦争初期の大陸軍によるカナダ侵攻作戦1776年5月18日から27日にかけて行われた一連の軍事的衝突である。これらの戦闘はモントリオール市の西28マイル (45 km) にあるシーダーズ(フランス語でレ・セドレ)付近で起こり、小戦闘ばかりだった。大陸軍の部隊が主にイロコイ族インディアンの大部隊と少数の民兵を率いるイギリス軍の抵抗を受けた。
モントリオールの大陸軍守備隊を指揮していたベネディクト・アーノルド准将は、イギリス軍とインディアンがモントリオールの西で軍事的な準備をしているとの噂を耳にした後、1776年4月にシーダーズに分遣隊を置いた。この分遣隊はイギリス軍のジョージ・フォースター大尉が率いるイギリス兵とインディアンの連合軍と対峙した後の5月19日に降伏した。シーダーズに向かっていた大陸軍の援軍も5月20日に短時間の小競り合い後に捕獲された。アーノルドがこの地域にそこそこの勢力の部隊を率いて来ており、これらの捕虜は全てフォースターとアーノルドとの交渉後に釈放された。その交換条件は大陸軍が捕まえていた捕虜を同数だけ釈放することだった。しかし、この取引は大陸会議によって拒否され、イギリス兵の捕虜は釈放されなかった。
シーダーズで大陸軍を率いていたティモシー・ベデル大佐とアイザック・バターフィールド中尉は、その責任について大陸軍から軍法会議に掛けられ、解雇された。ベデルは改めて志願兵として功績を挙げ、1777年に新しい任官を受けた。この戦闘に関する報告はしばしば絵入りで被害を異常に誇張したものがあり、イギリス軍の大半を占めていたイロコイ族が行った残虐行為については嘘の証言もあった。
== 背景 ==

シーダーズは現代のモントリオール市中心部から約28マイル (45 km)、セントローレンス川の北岸にあり、オタワ川を分けるモントリオール島西端から南西にあった。セントローレンス川のこのあたりは急流だったので陸上輸送を必要とし、川からモントリオールに出入りする者にとって戦略的な上陸点だった〔Smith (1907), Vol 2, p. 365〕。オタワ川を渡るときはアン砦とカンズ・シェーヌ〔''Quinze-Chênes'' ("Fifteen oaks" in English) was the name of the place at the time. The place was later also known as ''Quinze Chiens'' ("fifteen dogs") or ''Vaudreuil''.〕(現在のボードレール)の間で行われた〔Smith (1907), Vol 2, p. 372〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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