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システィナ礼拝堂 : ミニ英和和英辞書
システィナ礼拝堂[どう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [れい]
 【名詞】 1. expression of gratitude 
礼拝 : [れいはい]
  1. (n,vs) (1) worship (esp. Christian) 2. adoration 3. divine service 
礼拝堂 : [れいはいどう]
 (n) (1) place of worship (esp. Christian)
: [はい]
 (n) worship
: [どう]
  1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent" 

システィナ礼拝堂 ( リダイレクト:システィーナ礼拝堂 ) : ウィキペディア日本語版
システィーナ礼拝堂[しすてぃーなれいはいどう]

システィーナ礼拝堂(システィーナれいはいどう、)は、ローマ教皇の公邸であるバチカン宮殿にある礼拝堂サン・ピエトロ大聖堂北隣に位置するその建物とともに、ミケランジェロボッティチェッリペルジーノピントゥリッキオら、盛期ルネサンスを代表する芸術家たちが内装に描いた数々の装飾絵画作品で世界的に有名な礼拝堂である。とくにローマ教皇ユリウス2世の注文でミケランジェロが1508年から1512年にかけて描いた天井画と、ローマ教皇クレメンス7世が注文し、ローマ教皇パウルス3世が完成を命じた、1535年から1541年にかけて描いた『最後の審判』はミケランジェロの絵画作品の頂点とされている。
もともとバチカン宮殿に存在していた古い礼拝堂を1477年から1480年にかけてローマ教皇シクストゥス4世が建て直させた建物で、その教皇名()にちなんでシスティーナ礼拝堂と名付けられた。この建て直し時には、ペルジーノ、ボッティチェッリ、ギルランダイオらの芸術家たちが、一連の内装フレスコ壁画を手がけている。壁画に描かれているのは『旧約聖書』からの「モーセの生涯の物語」ならびに『新約聖書』からの「キリストの生涯の物語」と、歴代のローマ教皇の肖像画で、これらは1482年から1483年8月にかけて描かれた作品となっている。落成したシスティーナ礼拝堂で最初のミサを執り行ったのはシクストゥス4世だった。このミサは聖母被昇天に捧げられたもので、システィーナ礼拝堂を聖母マリアに奉献することを表明する式典でもあった。
シクストゥス4世以降、システィーナ礼拝堂は宗教的施設とローマ教皇執務室という二つの役割を果たしてきた。現在ではローマ教皇を選出する会議であるコンクラーヴェの会場としても使用されている。
== 歴史 ==
システィーナ礼拝堂はローマ教皇を選出するコンクラーヴェが開催される場所として広く知られている。しかしながら、教皇礼拝堂 (''Cappella Pontificia'') の一角を構成するシスティーナ礼拝堂は、1968年まで教皇宮殿 (''Pontificalis Aula'') と呼ばれていた教皇公邸 (''Domus Pontificalis'') としての性格も持っている。シクストゥス4世が在位していた15世紀後半の教皇礼拝堂には、聖職者、聖座職員、高位の平信徒らおよそ200人の人々が関わっており、年間50件におよぶ式典、行事を執り行うことが定められていた。これらの行事で35件を占めるのがミサで、そのうち8件が通常サン・ピエトロ大聖堂で実施されており、多数の信徒が集まる一大式典だった。クリスマスやイースターのミサには教皇自ら典礼として参加していた。残り27件のミサは比較的小規模で大きな施設を必要としなかったこともあって、システィーナ礼拝堂が完成する以前にはマッジョーレ礼拝堂が使用されていた。
ヴァチカン宮殿にはマッジョーレ礼拝堂のほかにも、ローマ教皇と教皇庁職員が日々の祈りを捧げる場所として使用される礼拝堂があり、シクストゥス4世在位時にはニコラウス5世が建てた、フラ・アンジェリコが内部装飾を手がけた礼拝堂が使用されていた。マッジョーレ礼拝堂は少なくとも1368年までは存在していたことが記録として残っている。しかしながら、後年のトラブゾンのアンドレアスとシクストゥス4世とのやりとりには、当時のマッジョーレ礼拝堂は荒廃して壁は傾いており、新しい礼拝堂を建設するために取り壊す必要があることが記されている〔John Shearman, "The Chapel of Sixtus IV". In 〕。
システィーナ礼拝堂はマッジョーレ礼拝堂の跡地に建てられている。シクストゥス4世の命でバッチオ・ポンテッリ (:en:Baccio Pontelli) が設計し、ジョヴァンニ・デ・ドリッチの総指揮のもとで1473年から1481年にかけて建設された。現在でもシスティーナ礼拝堂の外観はほぼ建設当時のままである。建物の完成後、盛期ルネサンスを代表する芸術家であるボッティチェッリ、ギルランダイオ、ペルジーノ、ミケランジェロらによるフレスコ画で内部装飾がなされた〔。
完成後のシスティーナ礼拝堂で最初のミサが執り行われたのは1483年8月9日である。このミサは聖母被昇天に捧げられたもので、システィーナ礼拝堂が聖母マリアに奉献されることを公表する式典でもあった〔。現在でもシスティーナ礼拝堂はさまざまな式典や行事などに使用されており、ローマ教皇が外遊などで不在の場合を除いて、ローマ教皇庁の公式行事の重要な開催場所である。世界最古の聖歌隊の一つであるシスティーナ礼拝堂聖歌隊 (:en:Sistine Chapel Choir) は、ルネサンス期に作曲された合唱曲を現在にそのまま伝えており、なかでもローマ楽派の作曲家グレゴリオ・アレグリの『ミゼレーレ』がとくに有名な楽曲となっている〔Stevens, Abel & Floy, James. "Allegri's Miserere". ''The National Magazine'', Carlton & Phillip, 1854. 531.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sistine Chapel 」があります。




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