翻訳と辞書
Words near each other
・ サンタガット・デ・モン
・ サンタガーピト
・ サンタクララ
・ サンタクララ (カリフォルニア州)
・ サンタクララバレー交通局
・ サンタクララバレー輸送事業機関
・ サンタクララ大学
・ サンタクララ渓谷交通局
・ サンタクララ郡
・ サンタクララ郡 (カリフォルニア州)
サンタクラリタ
・ サンタクラリタ (カリフォルニア州)
・ サンタクルス
・ サンタクルス (曖昧さ回避)
・ サンタクルスFC
・ サンタクルス事件
・ サンタクルス島
・ サンタクルス州
・ サンタクルス県
・ サンタクルス空港


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

サンタクラリタ : ミニ英和和英辞書
サンタクラリタ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


サンタクラリタ : ウィキペディア日本語版
サンタクラリタ

サンタクラリタ()は、アメリカ合衆国カリフォルニア州南部ロサンゼルス郡の都市である。カリフォルニア州財務省に拠れば、2010年国勢調査での人口は176,320人であり、2000年より16.7%成長して、郡内では4番目、州内では26番目に大きな都市になっている。サンタクラリタ・バレーの未編入領域を含めると、域内人口は275,000人を超えると推計されている。ロサンゼルス市中心街から約35マイル (56 km) 北西にあり、サンタクラリタ・バレーの大半を占めている。アメリカ合衆国における周辺都市あるいはブーム郊外都市の代表例である。連邦捜査局(FBI)は、アメリカの人口10万人以上の都市の中で、サンタクラリタは6番目に安全な都市と評価した(隣接するベンチュラ郡シミバレー市とサウザンドオークス市はこのランキングで伝統的に入れ替わり1位と2位になっている)。雑誌「マネー」の2006年版では「アメリカの住みたい都市100傑」の18位に位置付けた〔MONEY Magazine: Best places to live 2006 〕。
サンタクラリタは、1987年にキャニオンカントリー、ニューホール、ソーガスおよびバレンシアなど幾つかの地域社会が合併することで、市制を布いた。これら地域社会は全て以前のランチョ・サンフランシスコの土地である。主要な市境はゴールデンステイト・フリーウェイ(州間高速道路5号線)とアンテロープバレー・フリーウェイ(州道14号線)であり、市の南端にあるニューホール峠でこの2本の道路が交わるところは、地図の上で特徴ある三角形を作っている。
サンタクラリタの最も著名な呼び物は、市域のすぐ外側、ロサンゼルス郡の未編入領域にあるシックスフラッグ・マジックマウンテン・アミューズメントパーク、およびバレンシアにあるカリフォルニア芸術大学である。
== 歴史 ==
サンタクラリタは1987年に市制を布いたばかりの都市であるが、その歴史は西暦450年にタタビアム族インディアンが到着したときまで遡ることができる。タタビアム族の全盛期には人口約2,000人に達していた。
1842年、サクラメント地域で金の発見が報道された時よりも6年前、フランシスコ・ロペスがカリフォルニアで最初の記録に残る金を発見していた(その書類は同年、フアン・B・アルバラド知事が署名した鉱業権申請書だった)。この金が発見されたのはプラスリタ・キャニオン であり、そこは後にハリウッドの当初撮影場所として使われた。
ニューホールの地域社会は、カリフォルニア・ゴールドラッシュの間に、サンフランシスコで大いに成功したオークション会場を経営するH・M・ニューホール会社を起ち上げて最初の資産を掴んだ事業家ヘンリー・ニューホールに因んで名付けられたものだった。ニューホールの次の収益源は鉄道だった。サンフランシスコと他の都市を繋ぐ鉄道に投資し、サンフランシスコ・サンノゼ鉄道の社長になった。1870年、ニューホールとその共同経営者はサザン・パシフィック鉄道に会社を売却し、ニューホール自身はその役員会に入った。ニューホールは鉄道に続いて不動産と牧畜に目を転じた。州内で昔スペインメキシコが発行していた土地特許を多く買い取り、モントレー郡とロサンゼルス郡で総面積は143,000エーカー (579 km²) になった。その中でも重要な部分はロサンゼルス郡北部にある広さ46,460エーカー (188 km²) のランチョ・サンフランシスコであり、これを1エーカー当たり2ドルで購入し、ニューホールの死後はニューホール牧場と呼ばれるようになった。この領地内で現在はニューホール峠と呼ばれる所を通すサザン・パシフィック鉄道の通行権を認め、サザン・パシフィック鉄道に土地の一部も売ったので、この会社は町を建設し、ニューホールと名付けた。この鉄道線に初めてできた駅にはニューホールの出身地マサチューセッツ州ソーガスに因んでその名前を付けた。ニューホールの死後、その相続人はニューホール土地農業会社を設立しサンタクラリタ市を作り上げている地域社会の発展を監督した。
1876年9月26日、チャールズ・アレクサンダー・メントリーがメントリービルで州内初の油井を掘り、カリフォルニア石油産業を興した。原油はニューホールの製油所に運ばれた。そこは世界でも最古の現存する製油所となっている(操業は1874年から1888年)。
その少し前にあたる9月5日、チャールズ・クロッカーとリーランド・スタンフォードがキャニオンカントリーでそれぞれの鉄道を結合し、ロサンゼルスと国内の他所を初めて鉄道で繋いだ。
ソーガスのサンフェルナンド道路沿いにあるソーガス・カフェは1887年に開店した〔"Tales of the Saugus Cafe , at ''Santa Clarita Valley History in Pictures'' (retrieved July 22, 2008)〕。ロサンゼルス郡でも最古の現在でも営業しているレストランということになっている〔"Centenarian (and older) restaurants?" Chowhound (post dated August 26, 2004, retrieved July 22, 2008).〕。
20世紀に入ってから間もない頃、ウィリアム・S・ハート、トム・ミックス、ハリー・ケリーおよび若き日のジョン・ウェインなど紳士録に載るような俳優達と共にサンタクラリタの映画産業が始まった。ハートとケリーはサンタクラリタ・バレーに自家を造り、どちらも今日では郡公園として運営されている。
1928年3月12日夜、ウィリアム・マルホランドのセントフランシス・ダムが崩壊し、カリフォルニア州の歴史の中でも2番目と言われる大災害になった。ベンチュラ近くで洪水が太平洋に達するまでに、450人の命が失われたと推計されている。現在のサンタクラリタ市内では、ウェストフィールド・バレンシア・タウンセンター・モールがある所が石と泥に埋まった。市内の多くの建物が死体の一時安置所になった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サンタクラリタ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.