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サッカーサウジアラビア代表 : ミニ英和和英辞書
サッカーサウジアラビア代表[さっかーさうじあらびあだいひょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ビア : [びあ]
 【名詞】 1. beer 2. (n) beer
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
代表 : [だいひょう]
  1. (n,vs) representative 2. representation 3. delegation 4. type 5. example 6. model 
: [ひょう]
  1. (n,n-suf) table (e.g., Tab 1) 2. chart 3. list 

サッカーサウジアラビア代表 : ウィキペディア日本語版
サッカーサウジアラビア代表[さっかーさうじあらびあだいひょう]

サッカーサウジアラビア代表()はサウジアラビアサッカー連盟によって編成されるサウジアラビアサッカーのナショナルチームである。
== 歴史 ==

国際試合への参加は1978年FIFAワールドカップ・アルゼンチン大会の予選から。1984年・1988年のAFCアジアカップでは砂漠のペレと称されたマジェド・アブドゥラーらの活躍で連続優勝。1984年のロサンゼルスオリンピック出場も果たしている。ただ、ワールドカップ本大会初出場は1994年アメリカ大会まで待たなければならず、1993年のアジア最終予選ではカウンター重視の手堅い試合運びを演じ、1位で同予選を通過した。同予選では初戦の日本戦で主将のアブドゥラーが負傷し、とりわけ第3戦の韓国戦ではアル=ディアイエのミスから先制を許し攻勢にさらされたが、終了間際にアフマド・ジャミール・マダニーのヘディングで同点に追いつき危機を乗り切った。試合終了後には難関を乗り切ったことに安堵した味方サポーターがピッチになだれ込む一幕があった〔أحمد جميل ــ كوريا.flv saud867,2009年12月23日〕。本大会ではオランダモロッコベルギーのグループリーグを2勝1敗のグループ2位で通過。第3戦のベルギー戦では、アブドゥラーが前半で負傷するもののサイード・オワイランが、ディエゴ・マラドーナに匹敵する4人を突破した伝説的なドリブルシュートを決め、グループリーグを通過。決勝トーナメント一回戦でスウェーデンに敗れるもベスト16の成績を残している。これがワールドカップにおける最高成績である。その後1998年大会南アフリカ戦、2006年大会チュニジア戦でいずれもアディショナルタイムに失点して引き分けるなど、ワールドカップ3勝目を挙げられずにいる。
世代別代表では、1989年FIFA アンダー


-16世界選手権
で優勝を果たしている。これは男子サッカーではアジア唯一のFIFA主催の世界大会における優勝である。このメンバーが中心となり、1994年のワールドカップ出場に導いている。オリンピックサッカー競技では、年齢制限が設けられた以降では1996年アトランタ大会に出場したが、それ以後2008年北京大会まで3大会の出場を逃している。
アジアでの成績は、ガルフカップ優勝3回、AFCアジアカップ優勝3回。特にアジアカップでは初出場から5大会連続で決勝に進み、そのうち3度制覇している。敗れた2回はいずれも日本が相手で、0対1のスコアで準優勝に終わっている。アジアカップでは4回のPK戦全てに勝利を収めている。
ガルフカップ2004、アジアカップ2004でのグループリーグ敗退など、アジア強豪国としての地位も近年揺らぎつつあるとの意見もあったが、AFCアジアカップ2007では復活し決勝まで進んだ。しかし、FIFAワールドカップ・南アフリカ大会アジア最終予選では韓国北朝鮮イランUAEと同組で3位になり、アジア5位決定戦に進んだもののロスタイムに勝ち越し、すぐに追いつかれるという劇的な形でバーレーンに敗れ、大陸間プレーオフ進出を逃し予選敗退を喫した。さらにAFCアジアカップ2011では、シリアヨルダンといった新興国に敗北を喫し、日本には0対5のスコアで大敗、2度目のグループリーグ敗退に終わる。また、グループリーグの最中に代表監督ならびにサッカー協会会長の交代劇や、代表選手の飲酒が発覚(カタールはイスラム教国家だが、サウジアラビアよりも戒律が厳しくなく、ホテルやバーなどあれば飲酒が出来る。また、これが会長交代の引き金にもなった)も起きている。さらにこの件を受けて2011年2月からの対外試合禁止を発表し、中東遠征を行ったU-22日本代表がサウジアラビアU-22代表戦のキャンセルを余儀なくされている。その後は2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選ではグループ3位に終わり、最終予選にすら進めずに2大会連続でワールドカップ出場を逃した。AFCアジアカップ2015でもグループリーグ敗退、2大会連続でベスト8進出に失敗し、低迷から抜け出せなかった。
国内の石油資本を背景として、サウジアラビアにおけるサッカーのハード・ソフトは非常に充実していて、アジアでは強豪国の一角を占めているが、アジア以外に弱いと言われている。サウジアラビアの代表選手は海外移籍に消極的で、サーミー・アル=ジャービルフセイン・スライマーニーが海外でプレーした経験がある以外は全員が国内でプレーしている。背景には、かつては国が選手の海外移籍に厳しい制限を設けていたことと、この制限が緩和された後もオイルマネーにより潤沢な資金を持つサウジアラビアのサッカーリーグはカタールなどと同様に、選手年俸が高く、選手たちが海外に移籍したがらないことがある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サッカーサウジアラビア代表」の詳細全文を読む




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