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サキャ・パンディタ・クンガ・ゲンツェン : ミニ英和和英辞書
サキャ・パンディタ・クンガ・ゲンツェン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


サキャ・パンディタ・クンガ・ゲンツェン ( リダイレクト:サキャ・パンディタ ) : ウィキペディア日本語版
サキャ・パンディタ

サキャ・パンディタ・クンガ・ゲンツェン(;漢字表記:薩斯迦班弥怛功嘉監蔵、1182年 - 1251年)は、チベット仏教サキャ派(赤帽派)の五先師〔五祖とも。サキャ派では、クンガ・ニンポ、ソナム・ツェモ、タクパギェンツェンを「白衣の三人」、サキャ・パンディタとパクパを「赤衣の二人」と称した。白衣は在家密教行者を、赤衣は出家者を象徴する。正木・立川1997、29-30頁。〕の4番目に数えられる宗教指導者。略して「サパン(Sa paṇ)」とも。中世チベットの有力氏族であるコン氏(ḥkhon-rigs)の出身。俗名はペンデントンドゥプ(Dpal ldan don grub)〔。
== 略歴 ==

=== サキャ派の興隆 ===
サキャ派はニンマ派カギュ派ゲルク派とともに現在チベット仏教の4大宗派に数えられる宗派で、その起源はコンチョク・ギェルポ(Dkon-mchog rgyal-po)がサキャの地にサキャ寺(薩伽寺)を建立した1073年にさかのぼる。コンチョク・ギェルポの子サチェン・クンガ・ニンポ(Kun-dga' snying-po)が『密教概論』を著して、「道果説(ラムデー)」を中心とするサキャ派の教義の基盤を作り、普及することとなる。クンガ・ニンポ入寂1172年)後、サキャ寺を主宰したのはその子ジェツン・タクパギェンツェン(Rje btsun Grags-pa rgyal-mtshan)であり、タクパギェンツェンの弟であるペルチェンオェポ(Dpal-chen' oe-po)がクンガ・ゲンツェンの父である〔岡田2010、145頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サキャ・パンディタ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sakya Pandita 」があります。




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