翻訳と辞書
Words near each other
・ サアディー・トゥーマ・アッバース
・ サアドゥーン・ハンマーディー
・ サアド・アッ=シーブ
・ サアド・アブドゥルアミール
・ サアド・アブドゥルマジード・アル=ファイサル・アッ=ティクリーティー
・ サアド・アブドゥル=マジード・アル=ファイサル
・ サアド・アル=アブドゥッラー・アッ=サバーハ
・ サアド・ザグルール
・ サアド・ハリーリ
・ サアド・ハリーリー
サアド朝
・ サアベドラ
・ サアロア族
・ サアーダトゥッラー・ハーン
・ サアーダトゥッラー・ハーン2世
・ サアーダト・アリー・ハーン
・ サアーダト・アリー・ハーン2世
・ サアーリビー
・ サイ
・ サイ (NARUTO)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

サアド朝 : ウィキペディア日本語版
サアド朝[さあどちょう]

サアド朝(サアドちょう; Saadi)は、16世紀初頭から1659年までモロッコを支配したシャリーフ系王朝。サーディ朝若しくはサード朝とも呼ばれる。オスマン帝国の拡大を阻止したことと、ソンガイ帝国を滅ぼしたことで知られる。
== サアド朝成立前夜のモロッコ情勢 ==
マリーン朝末期、モロッコは、大西洋岸の主要港をポルトガルによって支配され、サハラ越えの交易ルートの利益も奪われてしまい、経済的に衰退し、山岳地帯の部族が略奪を繰り返すなど政情不安に陥っていた。内陸部では、グイチと呼ばれる一種の自警団、海岸部や平野部では、スーフィズムに支えられたカリスマ的な霊力を持つとされる「聖者」(マラブー)を中心とする宗教的な同胞団が多く生まれるようになった。このような同胞団は、現実生活に疲れ困窮した農民層を聖戦を戦う兵士として巧みに組み込んで成長していったが、サアド朝の君主もそのような同胞団の「聖者」の一人だった。14世紀頃、モロッコ国土の南部、アルジェリアとの国境付近ドラア川流域に定住し、シャリーフ(預言者の子孫)バヌー・サアド族として人望を集めつつあった。15世紀中葉、海岸に近いスース地方、タルーダントの南西のティドレにザーウィヤを開き、やがてスース地方全体の支持を集めるようになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サアド朝」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.