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コルマール・フォン・デア・ゴルツ : ミニ英和和英辞書
コルマール・フォン・デア・ゴルツ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

コルマール・フォン・デア・ゴルツ : ウィキペディア日本語版
コルマール・フォン・デア・ゴルツ[ちょうおん]

ヴィルヘルム・レオポルト・コルマール・フォン・デア・ゴルツ男爵(Wilhelm Leopold Colmar Freiherr von der Goltz, 1843年8月12日 - 1916年4月19日)は、プロイセン王国軍人軍事学者である。
== 生涯 ==
1843年に東プロイセンにおいて没落貴族の家庭に生まれる。
1861年に陸軍に入隊し、5年後にベルリン陸軍大学校に入学する。しかし普墺戦争で一時的に学業から離れて従軍し、負傷する。翌年に参謀本部陸地測量部の勤務を命じられ、1870年から約1年の間にフリードリヒ・カールの第二軍幕僚として従軍した。戦後にはポツダムの軍学校の教官となり、そして参謀本部戦史部に配属される。1878年にベルリンの陸軍大学校で教官となり、戦史教育に携わり、執筆活動もこの頃に行っている。
1883年にはトルコ軍の要請から12年間に渡って派遣され、トルコ軍の改革に貢献し、トルコ陸軍元帥の名誉が授与された。1896年に帰国した後は師団長となり、1911年には元帥として退役した。第一次世界大戦におけるドイツ軍占領行政に当たってはベルギーの軍政監を勤めている。さらにトルコへ再び派遣され、軍事顧問としてスルタンの最高統帥部に就く。1915年にトルコ陸軍第一軍の司令官としてメソポタミア作戦を指揮統率し、その翌年にバグダードで死去した。青年トルコ党による暗殺という説もある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コルマール・フォン・デア・ゴルツ」の詳細全文を読む




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