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ゲルゴウィアの戦い : ミニ英和和英辞書
ゲルゴウィアの戦い[げるごうぃあのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

ゲルゴウィアの戦い : ウィキペディア日本語版
ゲルゴウィアの戦い[げるごうぃあのたたかい]

ゲルゴウィアの戦い(仏:Siège de Gergovie)は、紀元前52年に行われたアルウェルニ族ウェルキンゲトリクスを指導者とするガリア連合軍とガリア総督ガイウス・ユリウス・カエサル率いるローマ軍との戦闘である。
== 概要 ==

=== 戦いまで ===
ウェルキンゲトリクスの元で決起したガリア連合軍を撃破すべく、カエサルはローマ軍を率いてガリアへと侵攻。ノウィオドゥヌム(現:ヌヴェール)、ウェッラウノドゥヌム(現:ヴィヨン)、ケナブム(現:オルレアン)を手中に収め、アウァリクム(現:ブールジュ)も激戦の末にローマ軍が陥落させた(アウァリクム包囲戦)。
冬も終わりに近づき、春も迫った戦いを仕掛けるのに好都合な時期であったことから、カエサルはアルウェルニ族の主たる城市ゲルゴウィア(現:クレルモン=フェラン近郊)へと更なる侵攻を目論んだものの、ハエドゥイ族より「主導権争いにより生じた部族内の内紛を調停して欲しい」との要請を受けた。ハエドゥイ族がウェルキンゲトリクス側へ寝返りを起さないように釘をさす意味もあって、カエサルは同部族の領土内のデケティア(Decetia、現:ドシーズ)へ向かい、コンウィクトリタウィス(Convictolitanis)が長官となり主導権を持ち、争っていたコトゥス(Cotus)らに従うよう裁定した。
ハエドゥイ族の調停が済んだ後、カエサルはローマ軍団を2分して、10個軍団の内の4個軍団をウェルキンゲトリクスに呼応して反ローマで決起したセノネス族パリシイ族に対応させるべくティトゥス・ラビエヌスと共にルテティア(現:パリ)方面へと派遣し、残りの6個軍団及びゲルマン騎兵をカエサル自らが率いて、アルウェルニ族の本拠・ゲルゴウィアへと進軍することとした。なお、ハエドゥイ族からの支援軍(アウクシリア)は後にゲルゴウィアへ向かうこととした。
ウェルキンゲトリクスはエラウェル川(現:アリエ川)に架かっている全ての橋を破壊して、エラウェル川の向こう岸(ゲルゴウィア側)に沿って進軍した。カエサル軍はガリア軍からの攻撃こそ受けなかったが、ウェルキンゲトリクスは偵察兵をエラウェル沿いに送り出して、カエサルが川を渡るのを見張っていた。そのため、カエサルは渡河することが困難であったが、ガリア軍を牽制する部隊と橋を構築する部隊の2手に軍を分けることでこれに対応し、ゲルマニア遠征での架橋経験も活かして早期に架橋を完了させ、エラウェル川を渡った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ゲルゴウィアの戦い」の詳細全文を読む




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