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グロスターポイントの戦い : ミニ英和和英辞書
グロスターポイントの戦い[ぐろすたーぽいんとのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

グロス : [ぐろす]
 (n) (a) gross, (n) (a) gross
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

グロスターポイントの戦い : ウィキペディア日本語版
グロスターポイントの戦い[ぐろすたーぽいんとのたたかい]

グロスターポイントの戦い()は、南北戦争開戦直後の1861年5月7日に、バージニア州のグロスターポイントで起きた北軍砲艦南軍砲台の砲撃戦である。サウスカロライナ州チャールストン港サムター砦で南北戦争が始まったとき、すなわち1861年4月14日から3週間後のことであり、少なくともバージニア州では最初の交戦となった。南軍はヨーク川の北岸グロスターポイントの砲台にバージニア州の部隊が守備についていたものであり、このときバージニア州は正式にアメリカ連合国に加盟していなかったので、公式の南軍ではなかった。対する北軍は海軍の砲艦USS''ヤンキー''1隻だった。この戦争初期に北軍海軍と南軍の陸上砲台が交戦した戦闘が幾つかあったが、これは北軍による海上封鎖、特にチェサピーク湾に対する封鎖行動の一部として起こった。またバージニア州の川を北軍が軍用にも商業用にも利用する可能性を、南軍が否定したという意味もあった。


== 背景 ==
1861年4月15日、サムター砦のアメリカ陸軍守備隊が南軍に降伏した1日後、エイブラハム・リンカーン大統領は、南軍に占領された資産を取り返し、アメリカ連合国を形成したディープサウス奴隷州7州の反乱初期段階にある軍を抑圧するために、75,000名の志願兵募集を呼びかけた。バージニア州を含め、奴隷制度を容認していたアッパーサウス4州は、この目的のために軍隊を提供することを拒否した〔Hansen, Harry. ''The Civil War: A History''. New York: Bonanza Books, 1961. . p. 48〕。これらの州は即座に、アメリカ連合国に加盟するためにアメリカ合衆国から脱退の手続きを始めた〔。
4月17日、バージニア州リッチモンドで開催されたバージニア州脱退会議に以前から選ばれていた代議員がアメリカ合衆国からの脱退条例を可決した〔Scharf, John Thomas. ''History of the Confederate States Navy From Its Organization to the Surrender of Its Last Vessel'' . New York: Rogers & Sherwood, 1887, p. 39. . Retrieved February 1, 2011〕。この条例は5月23日に予定される住民投票で批准される必要があった〔。それでも会議の決議があり、バージニア州知事ジョン・レッチャーが住民投票を行う前にアメリカ合衆国からバージニア州を事実上脱退させていた〔〔Hansen, 1961, p. 34〕。特に会議では州知事が志願兵を招集してバージニア州の軍隊に加え、連邦政府の軍事行動に対してバージニア州を守らせることを承認していた〔。
4月22日、レッチャー知事はロバート・E・リーをバージニア州陸軍と海軍の総司令官に任命した〔。4月24日、バージニア州とアメリカ連合国は、バージニア州がアメリカ連合国に加盟手続きを進める間も、バージニア州軍がアメリカ連合国大統領の全体指揮下に入ることに合意した〔。これらの展開によってバージニア州が脱退手続きを完了することが目に見えてきた。それ故にリンカーン大統領は、バージニア州で脱退問題について住民投票が行われるのを待たず、バージニア州をアメリカ連合国の一部として扱う行動を採った。4月27日、リンカーンは4月19日に宣言していた当初のアメリカ連合国7州の海上封鎖を、バージニア州やノースカロライナ州の港を含むように拡大させた〔Long, E. B. and Barbara Long. ''The Civil War Day by Day: An Almanac, 1861–1865''. Garden City, NY: Doubleday, 1971. . p. 66〕。
5月3日、バージニア州軍ロバート・E・リー少将は、ヨーク川のヨークタウンから対岸にあるグロスターポイントの守備隊指揮官にウィリアム・B・タリアフェロー大佐を指名した。リー将軍は、その場所でヨーク川をカバーできる川岸砲台の建設と防衛について、バージニア州海軍大佐のウィリアム・C・ウィットルと協力するようタリアフェローに指示した〔Scharf, 1887, p. 107〕。5月6日、タリアフェローはバージニア志願砲兵連隊であるリッチモンド榴弾砲連隊の中隊50名に、6ポンド砲2門を伴い、グロスターポイントに行って川岸砲台の防御と運営を援助するよう命令した。この砲兵は5月7日早朝にグロスターポイントに到着した〔Gordon, E. Clifford. ''The Battle of Big Bethel'' . Richmond, VA: Carlton McCarthy and Co., 1883. Contributions to a History of the Richmond Howitzer Battalion, Pamphlet No. 3, Richmond, VA: Carlton McCarthy and Co., 1884. Diary of T. Roberts Baker, of the Second Howitzer Company of Richmond, VA. . p. 6〕。この部隊はまだ正式に南軍の陸軍海軍に移管されていなかったが、バージニア兵は南軍およびその防衛部隊と呼応して行動していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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