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グレゴア・シュリーレンツァウアー : ミニ英和和英辞書
グレゴア・シュリーレンツァウアー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

グレゴア・シュリーレンツァウアー : ウィキペディア日本語版
グレゴア・シュリーレンツァウアー[ちょうおん]

グレゴア・シュリーレンツァウアー(Gregor Schlierenzauer、1990年1月7日 - )はオーストリアチロル州インスブルック出身のスキージャンプ選手。
== プロフィール ==
グレゴア・シュリーレンツァウアーは1990年1月7日、インスブルックでポール・シュリーレンツァウアーとアンジェリカ夫妻の長男として生まれた。姉グロリアと弟ルーカスがいる。彼には生まれつき左の耳に聴覚障害がある。
8歳の時SV Innsbruck-Bergisel clubでスキージャンプを始めた。伯父のマルクス・プロックリュージュのオリンピックメダリストである)がマネージャーとなり、2001年にフィッシャーと、その数年後にはレッドブルとスポンサー契約を結んだ。
2005年のノルディックスキージュニア世界選手権に出場し団体戦4位、個人戦20位だった。
2006年のジュニア世界選手権(スロベニアクラーニ)では個人戦、団体戦ともに金メダルを獲得。同年3月には日本で行われたFIS-Cupに出場、宮様スキー大会のノーマルヒル(宮の森ジャンプ競技場)で優勝するなど実力の片鱗を披露した。
これらの活躍によりアレックス・ポイントナーコーチによりナショナルチームに招集され、3月12日にホルメンコーレン大会スキージャンプ・ワールドカップデビューを果たして24位となった。
2006年のスキージャンプ・サマーグランプリでは1勝をあげて総合5位となった。
2006年12月3日のリレハンメルノルウェーでワールドカップ初優勝。
2007年1月7日、ビショフスホーフェンで17歳の誕生日を優勝で飾り、ジャンプ週間総合ではアダム・マリシュに次いで2位となった。
世界選手権では団体金メダルを獲得した。このシーズン、ワールドカップでは5勝をあげて総合5位となった。
2007年のサマーグランプリでは2勝して総合3位となった。
2007-2008シーズンも開幕から好調で常に一桁順位に入っていたが開幕から6連勝するなど絶好調の同僚トーマス・モルゲンシュテルンの陰に隠れる形だった。
2008年1月1日のガルミッシュ=パルテンキルヒェンでこのシーズン初勝利をあげた。しかし地元インスブルックの第3戦は強風でビショフスホーフェンに変更となり5位、第4戦では2本目に進めず42位となりジャンプ週間は12位に終わった。
2008年2月のスキーフライング世界選手権では個人、団体の2冠を獲得、シーズン終盤には4連勝するなどして結局ワールドカップ総合でモルゲンシュテルンに次ぐ2位となった。またプラニツァのフライングで233.5mのオーストリア記録をマークした。
2008年のサマーグランプリでは5勝して総合優勝を果たした。
2008-2009シーズンは開幕からシモン・アマンが絶好調で、総合首位を走ったが、シュリーレンツァウアーも常に上位に入って好調を維持していた。
2009年1月17日のザコパネポーランド)から2月11日のクリンゲンタールドイツ)まで6連勝を記録、これはヤンネ・アホネンマッティ・ハウタマキ、モルゲンシュテルンに次いで史上4人目である。
世界選手権ではノーマルヒル個人で銀メダル、団体金メダルを獲得、シーズンではともに新記録となる13勝、2083ポイントをあげで総合優勝を達成したが、
シーズン終了後の3月25日にラムソーで用具のテストジャンプを行っている最中に転倒し右ひざ靭帯を断裂する重傷を負った〔Schlierenzauer schwer verletzt 〕。
すぐに手術を受け〔Schlierenzauer erfolgreich operiert 〕、6月にはジャンプのトレーニングを再開した〔Schlierenzauer Top-Favorit 〕。
8月には復帰してすぐにサマーグランプリで優勝し、けがの影響を感じさせなかった。
2009-2010シーズンも開幕から好調でワールドカップの総合をシモン・アマンと激しく争い、2010年1月22日には史上五人目の通算30勝に到達した。
2010年バンクーバーオリンピックでは、ノーマルヒル個人・ラージヒル個人両種目で銅メダルを獲得した。オリンピック後は4連勝したアマンに水をあけられ、ワールドカップ総合2位に終わった〔2009/2010 World Cup Standings (PDF) 〕。
2010-2011シーズンは開幕から彼としては不調で11月と12月は10位以内に入ることが出来ず、その上練習中に右膝靭帯を痛めてしまった〔Gregor Schlierenzauer injured 2010.12.14 〕。
しかし半月後には練習を再開し、ジャンプ週間の後半インスブルックからワールドカップに復帰した。
2月12日と13日のヴィケルスンのフライングで連勝、2月12日には243.5mのオーストリア記録をマークした。
2011年ノルディックスキー世界選手権では個人ノーマルヒルこそ8位に甘んじたが団体2種目優勝、個人ラージヒルでは同僚モルゲンシュテルンを僅か0.3ポイント差でかわして金メダル獲得と活躍した。
3月18日のプラニツァでシーズン3勝目、同20日の最終戦4位となり、ワールドカップ総合9位まで順位をあげてシーズンを終えた。
2011-2012シーズンもサマーグランプリから好調で常に表彰台を維持、冬のシーズンに入っても優勝争いの常連でスキージャンプ週間では自身初の総合優勝を達成した。
2012年2月4日、ヴァル・ディ・フィエンメでのラージヒルで優勝、マッチ・ニッカネンに次いで史上二人目の個人通算40勝に到達した。この後やや勢いが失われ、2012年スキーフライング世界選手権では団体で金メダルを獲得したもののワールドカップ総合では結局アンデシュ・バーダルに及ばず2位となった。
2012-2013シーズンも開幕から好調を維持、シーズン5勝目でスキージャンプ週間を2年連続で制覇すると次の焦点はニッカネンの通算勝利数に移った。1月26日にヴィケルスンで行われたスキーフライングで勝利して46勝のタイ記録、2月3日のハラコフで47勝の新記録を達成した。
2013年ノルディックスキー世界選手権では金メダル1個、銀メダル2個を獲得。さらにホルメンコーレン大会で優勝、3月22日のフライングで通算50勝に到達し2度目のワールドカップ総合優勝を達成した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「グレゴア・シュリーレンツァウアー」の詳細全文を読む




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