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グランプレ奇襲 : ミニ英和和英辞書
グランプレ奇襲[ぐらんぷれきしゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
奇襲 : [きしゅう]
  1. (n,vs) surprise attack 

グランプレ奇襲 : ウィキペディア日本語版
グランプレ奇襲[ぐらんぷれきしゅう]

グランプレ奇襲(グランプレきしゅう、Raid on Grand Pré)は、ニューイングランド民兵大佐ベンジャミン・チャーチが、アン女王戦争期間中の1704年6月フランスアカディアに対して行った奇襲である。チャーチによる奇襲遠征の中でも最も大規模なもので、この年の2月に、フランスとインディアンの連合軍が、マサチューセッツを襲ったディアフィールド奇襲への報復として行われた。
1704年の5月25日、500人の民兵と数名のインディアンの同盟兵がボストンを発った。ペノブスコット湾パサマクォディ湾の比較的小さな集落を襲った後、6月24日にミナス・ベイシンに到着した。有名なファンディ湾の波の高さに驚き、我を忘れつつも、ただちにグランプレを支配下に置き、3日かけて町を焼き、農耕地に巡らされていた堤防をわざと壊した。そのため農耕地には塩水があふれたが、地元のアカディア人は、奇襲隊が去った後に堤防を修理して、土地を耕作できる状態に戻した。チャーチは奇襲のための遠征を続け、ボーバサンと他の集落に襲撃を仕掛けてから、最終的に7月の下旬にボストンに戻った。
==歴史的背景==

1702年スペイン継承戦争(アン女王戦争)が大規模化し、イングランドが参戦したことで、北アメリカのイングランドとフランス、両国の植民地の対立をも引き起こした〔Drake, p. 141〕。イングランド領の、マサチューセッツ湾直轄植民地(現在のメインを含む)総督ジョセフ・ダドリーは、1703年6月に、マサチューセッツとヌーベルフランスの境界地域に住んでいたアベナキ族を、確実に中立の存在にしようと目論んだ〔Drake, p. 150〕。しかしこれは失敗した。ヌーベルフランスの総督、フィリップ・ド・リゴー・ヴォードルイユは、人数でまさるイングランド相手の防御には、インディアンの助けを借りなければならないことを知っており、既にインディアンたちに戦闘の準備を勧めていた〔Drake, pp. 142, 153〕。1703年夏、フランスが仕掛けたウエルズや、イングランド領メイン沿岸部の集落への奇襲を受け、イングランド植民地の住民は、アベナキ族の村に大規模な報復の襲撃を仕掛けたが、これは成功しなかった〔Drake, pp. 154–168〕 。この時の襲撃により、アベナキ族は、1704年、フランス主導のディアフィールド奇襲への参加を決意した〔Haefeli and Sweeney, p. 92〕。ディアフィールド襲撃は、住民の50人以上が殺され、100人以上が捕囚されると言う熾烈なもので、復讐を求める声が起こり、インディアン式ゲリラ戦術にたけた、練達の兵士ベンジャミン・チャーチが、フランス領アカディアへの遠征を申し出た〔Drake, p. 193〕〔Haefeli and Sweeney, p. 122〕。
その当時アカディアに暮らしていたのは、ファンディ湾岸とその支流に散らばって住んでいる、一連の入植者たちだった。最大の入植地で首都でもあるポートロワイヤルは、唯一の大規模な砦を持つ町でもあり、小規模な駐屯隊がこの星形要塞を守っていた〔Griffiths, pp. 189,198–201〕。ファンディ湾上部にあるのは、ミナス盆地カンバーランド盆地の沿岸地域で、アカディアでも有数の農業地であり、グランプレはそのミナス盆地で最も大きく、繁栄した町で、1701年には約500人がこの町に暮らしていた〔Herbin, pp. 32–34〕。ここのフランス人入植者は、堤防構築の知識があり、それを活かして沼沢地から水をはけさせ、ファンディ湾名物の、まれに見る高波(場所によっては6メートル以上)が土地に流入するのを防いだ〔Herbin, pp. 30–32,165〕。ボーバサンの町は、シグネクト地峡の複数の集落や、カンバーランド盆地沿岸部の集落の中でも最も大きかった〔Griffiths, p. 187〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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