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グラティテュード作戦 : ミニ英和和英辞書
グラティテュード作戦[ぐらてぃてゅーどさくせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 
作戦 : [さくせん]
 【名詞】 1. military or naval operations 2. tactics 3. strategy 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

グラティテュード作戦 : ウィキペディア日本語版
グラティテュード作戦[ぐらてぃてゅーどさくせん]

グラティテュード作戦(グラティテュードさくせん、)〔#ASTORIA (1)〕は、太平洋戦争中の1945年昭和20年)1月10日から1月25日にかけて、ルソン島の戦いの支援のためにアメリカ海軍第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)が南シナ海を中心に繰り広げた作戦である。これまでアメリカ艦隊が入らなかった南シナ海に進入して一方的な空襲作戦を展開し、日本側にヒ86船団の悲劇的な壊滅を含む多大な艦船の喪失を生み出した。作戦は南方からの資源ルート切断という危機が間近に迫ったことを日本側に知らしめる結果となり、艦艇による北号作戦および輸送船団による南号作戦が発動されて南方資源地帯からの重要物資の還送が促されることとなった。また、1944年8月28日から中部太平洋方面で作戦行動に入っていた第3艦隊ウィリアム・ハルゼー大将)の行動は、この作戦でいったん締めくくられることとなった。
なお、第38任務部隊がバシー海峡を西航して南シナ海に入り一連の空襲を終えてバシー海峡を東航し台湾と沖縄への攻撃を終えて根拠地のウルシー環礁に帰投するまでの期間を扱う。ヒ86船団については当該項目も参照とのこと。なお、第38任務部隊の行動自体は1944年(昭和19年)12月30日から始まっており、その12月30日から1月9日まではマイクI作戦(マイクワンさくせん、Operation MIKE I)と別の作戦になる。
==背景==
レイテ島の戦いの大勢が決してミンドロ島の戦いもアメリカ軍が圧倒したことにより、次なる目標はルソン島、そしてマニラとなった(ルソン島の戦い)。ハルゼー大将率いる第3艦隊は、神風特別攻撃隊の襲来に時折悩まされながらも制圧任務をレイテ戦以来継続しており、その甲斐あって第7艦隊トーマス・C・キンケイド中将)は神風の被害を受けつつ、1月9日に7個師団175,000名をリンガエン湾に上陸させることができた。
ハルゼー大将の当面の懸念材料は、12月16日の偵察によってカムラン湾に籠っていることが明らかであった戦艦伊勢日向を中心とする日本艦隊であった〔#撃沈戦記III p.150〕。12月25日の礼号作戦は被害こそ大したことはなかったが、味方勢力圏内の内懐に日本艦隊が入り込んだこと自体は事実であり、礼号作戦のようにリンガエン湾への補給路の横腹を突かれる可能性を危惧していた。12月30日午後にサンジャックを偵察したB-29がカムラン湾から移動していた伊勢と日向、そして『水上機母艦』と判定された軽巡洋艦大淀などの日本艦隊〔12月16日の偵察を受け、カムラン湾の湾口や周囲の地形が防御に不利であると判断してサンジャックに移っていた(#五艦1912 pp.9-10)。〕を発見したことは、ハルゼー大将に南シナ海での作戦を行わせる一層の口実となった〔#木俣軽巡 pp.627-628〕〔#五艦1912 p.12〕。一方、太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ元帥は、ハルゼー大将とは違った心配事を抱えていた。それはハルゼー大将その人であった。コブラ台風により戦わずして第38任務部隊に大損害を与えたハルゼー大将は査問委員会で非があったと認定されたが、国民的人気に配慮して更迭は避けられた。
ウルシーでハルゼー大将らに対する査問委員会が開かれているさ中、ニミッツ元帥はレイテ島ダグラス・マッカーサー陸軍元帥と面会して今後の第38任務部隊による支援内容について討議したのちウルシーに戻り、ハルゼー大将にマッカーサー元帥との対談での合意事項を手渡した〔#ポッター p.517〕。その席でハルゼー大将は偵察で発見された伊勢と日向を撃沈するため、これまでアメリカ軍艦艇としては潜水艦しか入らなかった南シナ海への第38任務部隊の進入許可を求めた〔。ニミッツ元帥は一応は同意したが、南シナ海での作戦はリンガエン湾上陸が無事終わってからという条件を付けた〔。いずれにせよ、ミンドロ島からリンガエン湾に至る補給線を日本艦隊から守ること、これが南シナ海における作戦でのハルゼー大将の基本任務となった〔#ニミッツ、ポッター p.412〕〔#ポッター p.521〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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