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グラウベ・フェイトーザ : ミニ英和和英辞書
グラウベ・フェイトーザ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

グラウベ・フェイトーザ : ウィキペディア日本語版
グラウベ・フェイトーザ[ちょうおん]

グラウベ・フェイトーザGlaube Feitosa、男性、1973年4月9日 - )は、ブラジル出身の空手家キックボクサー極真会館ブラジル支部所属。ニックネームは「極真の怪物」。極真空手の段位は三段。
長い脚から繰り出される“ブラジリアンキック”と呼ばれるハイキックと、膝蹴りが得意。礼儀正しい真面目な性格で、相手を倒した際、「残心」の構えをとる。
極真会館ブラジル支部の出身であり師匠に磯部清次、先輩にフランシスコ・フィリォ、後輩にエヴェルトン・テイシェイラをもつ。
セコンドには、兄弟子のフランシスコ・フィリォ、極真会館専属トレーナーのファイ・ファラモエレイ・セフォーがついている。
== 来歴 ==
極真会館ブラジル支部において、磯部清次に教えを受ける。少年時代のグラウベは長身だがガリガリに痩せた虚弱体質で、それを心配した父親と共に道場の門を叩いた。入門初期は股割りなどの柔軟運動一つにも苦労したという。
1995年11月3日 - 5日極真会館(松井派)主催の第6回オープントーナメント全世界空手道選手権大会に出場し、8位入賞。
1998年7月18日K-1初参戦となるK-1 DREAM '98でマイク・ベルナルドと対戦し、右フックで3ダウンとなりTKO負け。
1998年9月27日にはK-1 GRAND PRIX '98 開幕戦でGP1回戦を佐竹雅昭と対戦するも、判定負け。
1999年11月5日 - 7日、極真会館 松井派主催の第7回全世界空手道選手権大会に出場し、4位入賞。
K-1デビュー当初は顔面パンチ有りのK-1ルールになかなか適応できず成績は振るわなかったが、2003年頃から勝利が増え始めた。
2003年11月1日 - 3日、極真会館(松井派)主催の第8回全世界空手道選手権大会に出場し、2大会連続の4位入賞。
2004年5月30日一撃にてアリスター・オーフレイムと一撃キックルールで対戦。右フックでダウンを奪い、最後は右アッパーで1RKO勝ち。
2004年9月25日、K-1 WORLD GP 2004 開幕戦でアーネスト・ホーストと対戦。序盤はグラウベがペースを握っていたが、中盤からペースを握り返され、判定負け。
2005年4月30日、K-1 WORLD GP 2005 IN LAS VEGASのUSA GP1回戦では、前年度準優勝のデューウィー・クーパーから判定勝ち。準決勝ではカーター・ウィリアムスに踵落としからの膝蹴りでKO勝ち。決勝ではゲーリー・グッドリッジを左ハイキックでKO勝ち。USA GP優勝を果たし、GPへの出場権を獲得。
2005年9月23日、K-1 WORLD GP 2005 IN OSAKA 開幕戦でセーム・シュルトと対戦し、序盤はハイキックをシュルトの顔面にヒットさせるなどしていたが、後半盛り返され、判定負け。
2005年11月19日、K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦のリザーブマッチでゲーリー・グッドリッジに判定勝ち。ピーター・アーツの負傷棄権を受け、準決勝で武蔵と対戦し、1Rに右ストレートでダウンを奪い、2Rに左跳び膝蹴りでKO勝ち(武蔵は5年ぶりのKO負け)するも、決勝でのセーム・シュルトとの再戦では、開始48秒左膝蹴りで失神KO負け。準優勝となった。
2006年7月30日、K-1 REVENGE 2006 アンディ・フグ七回忌追悼イベントのメインで武蔵と対戦。3R終了間際に右ストレートでダウンを奪い判定勝ち。
2006年9月30日、K-1 WORLD GP 2006 IN OSAKA 開幕戦でポール・スロウィンスキーと対戦。ローキック一本で攻めるスロウインスキーに対し、手数、パンチテクニックで圧倒して、大差の判定勝ち。
12月2日、K-1 WORLD GP 2006 IN TOKYO 決勝戦では準々決勝でルスラン・カラエフと対戦し、ブラジリアンキックからのパンチ連打で1R1分11秒KO勝ち。準決勝ではピーター・アーツと対戦し、1Rにはブラジリアンキックでアーツをぐらつかせ、優位に立つが、2Rにパンチ連打でTKO負け。
2007年4月28日、K-1 WORLD GP 2007 IN HAWAIIのスーパーファイトで元GP王者のレミー・ボンヤスキーと初対戦。蹴り技最高峰の対決と言われ注目を浴びた。結果は0-2の僅差の判定負け。
2007年9月29日、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16のGP1回戦でハリッド"ディ・ファウスト"と対戦。1Rに左膝蹴り、左ストレートで2度のダウンを奪い判定勝ち。
2007年12月8日、K-1 WORLD GP 2007 FINALの準々決勝で王者セーム・シュルトと3度目の対戦。2R中盤にグラウベのブラジリアンキックがヒットしシュルトをふらつかさせるもダウンには至らず、判定負け。
2008年4月13日、K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMAのスーパーファイトでアレックス・ロバーツと対戦。2Rに左ハイキックで失神KO勝ち。試合後、谷川貞治K-1イベントプロデューサーは「バダ・ハリのヘビー級タイトルマッチの挑戦者候補はグラウベ」と話した。
2008年6月29日K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKAで行われたK-1ヘビー級タイトルマッチで王者バダ・ハリと対戦。パンチ連打でダウンを奪われ、最後は右フックでKO負け。王座獲得に失敗した。
2008年9月27日K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16で新鋭エロール・ジマーマンと対戦し、2度のダウンを奪われ、更にKO寸前まで追い込まれるも耐え抜き、試合終了間際にパンチ連打で猛反撃を見せるも時間切れ。大差の判定負けを喫した。
2009年3月28日K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAにて澤屋敷純一と対戦。1Rに2度のダウンを奪い、更に2Rに左ストレートでダウンを奪った所でタオルが投入されTKO勝利となった。
2009年9月26日K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16エロール・ジマーマンと再戦し、0-2で僅差の判定負け。なお、グラウベはこの判定に対し「延長戦が妥当ではないか」と珍しく不満を唱えた。
現在では現役を引退する意向を表明している〔INTERVIEWS Glaube Feitosa TATAME 2010年4月27日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「グラウベ・フェイトーザ」の詳細全文を読む




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