翻訳と辞書
Words near each other
・ クリーブランド・キャバリアーズのチーム記録
・ クリーブランド・キャバリアーズチーム記録
・ クリーブランド・スタジアム
・ クリーブランド・スパイダーズ
・ クリーブランド・ナップス
・ クリーブランド・バーク・レイクフロント空港
・ クリーブランド・フォレストシティーズ
・ クリーブランド・ブラウンズ
・ クリーブランド・ブラウンズスタジアム
・ クリーブランド・ブラウンズ・スタジアム
クリーブランド・ブルース
・ クリーブランド・ホプキンス国際空港
・ クリーブランド・レベルズ
・ クリーブランド公
・ クリーブランド公爵
・ クリーブランド国際空港
・ クリーブランド地下鉄
・ クリーブランド山
・ クリーブランド市長
・ クリーブランド弦楽四重奏団


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

クリーブランド・ブルース : ミニ英和和英辞書
クリーブランド・ブルース[ぶる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

クリーブランド・ブルース : ウィキペディア日本語版
クリーブランド・ブルース[ぶる]
クリーブランド・ブルースCleveland Blues)は、1879年から1884年にかけて、オハイオ州クリーブランドを本拠地として、ナショナルリーグに加盟していたプロ野球チーム〔現在のクリーブランド・インディアンスは、創設年の1901年にこの球団の名前を受け継ぎ、「クリーブランド・ブルース」を名乗っていた。〕。
==球団史==
1879年にナショナルリーグの新球団としてクリーブランドに設立された。チームが躍進したのは1880年と1883年の2度あり、1880年シーズンは監督を兼任していた投手のジム・マコーミックが45勝28敗、防御率1.85という大活躍をしてチームをリーグ3位にまで押し上げた。その後マコーミック一人で投げていた弊害からチームも成績を落とすが、1883年にヒュー・デイリーを補強しリーグ4位にまで順位を上げた。攻撃面ではビル・フィリップスとフレッド・ダンラップが中心で、ダンラップは1881年に打率.325、1883年に.326の打率を記録している。
しかし1884年にマコーミック、ダンラップ、ヒュー・デイリーがユニオン・アソシエーションに移籍、チームは急遽ジョー・ハーキンスを投手に立てるが、ハーキンスは暴投(48)、失点(300)でリーグ最多を記録、この年のナショナルリーグの最多敗戦投手(32敗)になってしまい、チーム成績も低迷してしまう。1884年にチームは解散、球団のフランチャイズ権は売却されてセントルイス・マルーンズに渡り、1885年にマルーンズがナショナルリーグに加盟することになった。
なお前後するが、クリーブランド・ブルースは1880年6月12日のウースター・ルビーレッグス戦で、リー・リッチモンドにメジャーリーグ史上最初の完全試合を許したチームである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クリーブランド・ブルース」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.