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クラウディオ・アラウ : ミニ英和和英辞書
クラウディオ・アラウ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


クラウディオ・アラウ : ウィキペディア日本語版
クラウディオ・アラウ

クラウディオ・アラウ・レオンClaudio Arrau León 1903年2月6日 - 1991年6月9日)は、南米チリ出身でアメリカを中心に活動したピアニスト20世紀を代表するピアノの巨匠として知られた。
== 経歴 ==
チリの首都サンティアゴ・デ・チレから400km南にある都市チリャンの名門の家系に、眼科医のカルロス・アラウ(''Carlos Arrau'')とアマチュア・ピアニストのルクレシア・レオン(''Lucrecia León'')の息子として生まれた。父方の祖先はフランスプロヴァンスの出で、本来の苗字はArrault(アロ)だったが、中世にバルセロナへ移住したとき語尾の-ltを省いて現在の苗字になった〔Joseph Horowitz, Claudio Arrau "Arrau on music and performance" (Dover Publications, 1999)〕。
早くから神童として知られ、5歳で最初のリサイタルを持った。1911年にサンティアゴでデビューし、同年チリ政府の援助によってドイツに留学。ベルリンシュテルン音楽院で、リストの高弟であるマルティン・クラウゼに師事(同門にエトヴィン・フィッシャーがいる)。
ベルリンでのデビューは1914年。大成功を収め、以後ニキシュメンゲルベルクフルトヴェングラーらの大指揮者と共演。ヨーロッパでの名声を確立する。
1925年には母校シュテルン音楽院の教授に就任。1927年にはジュネーブ国際ピアノコンクールに1位入賞。1935年からはベルリンでバッハモーツァルトの全クラヴィーア曲の連続演奏会を開く。
またベートーヴェンウェーバーシューベルトのピアノソナタ連続演奏会をヨーロッパや南米各地で行い、その名声を不動のものとした。
1941年カーネギー・ホールにデビューし、翌年より本拠をアメリカに移す。第二次大戦後は南北アメリカ、東西ヨーロッパ、アジアなど世界的に活躍(日本には1965年初来日)。最晩年までコンサート・録音を精力的に行い、文字通り「巨匠」の名にふさわしい活躍をみせた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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