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キンブリ人 ( リダイレクト:キンブリ族 ) : ウィキペディア日本語版
キンブリ族[きんぶりぞく]
キンブリ族(Cimbri)は古代の北欧の部族の1つで、紀元前2世紀後半にテウトネス族アンブロネス族と共に共和政ローマを脅かした。ゲルマン人の系統と思われるが、ケルト人とする説もある。古代の文献によれば、現在のデンマークにあたるユトランド半島が母国とされており、古代にはこの半島を「キンブリ族の半島」(ギリシア語: / ''Kimbrikē Chersonēsos'')と呼んでいた〔W. Pohl, ''Die Germanen'', 2000, p. 89.〕。
== 母国と呼称 ==
考古学的には、鉄器時代前期にユトランド半島から民族が移動した明確な証拠は見つかっていない。ユトランド半島北部で見つかった紀元前2世紀から紀元前1世紀に捨てられた(または隠された)グンデストルップの大釜は、南ヨーロッパとの何らかの接触があったことを物語っているが、それがキンブリ族の遠征だったのかどうかは定かではない〔Kaul, F. & Martens, J. "Southeast European Influences in the Early Iron Age of Southern Scandinavia. Gundestrup and the Cimbri", ''Acta Archaeologica'' 66 (1995) 111-161.〕。
キンブリ族とユトランド半島を結びつける根拠は、古代のギリシアやローマの文献である。アウグストゥスの『業績録』(ch. 26) によれば、紀元1世紀になってもキンブリ族はその地域で見られたという。

同時代のギリシア人地理学者ストラボンは、キンブリ族がゲルマンの部族として依然として存在しており、(北海沿岸に住み、アウグストゥスに敬意を表したといわれていることから)おそらく「キンブリ族の半島」に住んでいると記している。

プトレマイオスの地図では、ユトランド半島の北端部に "Kimbroi" の文字がある〔プトレマイオス、『ゲオグラフィア』 2.11.7: (翻訳すると「キンブリ族は(それらの部族の中で)最も北に住んでいる」)〕。当時、リムフィヨルドの北は小さな島々で、現在のヴェンシュセルチュー島が形成されるのは後のことである。したがって、ここで示されているのはユトランド半島北部の現在 ''Himmerland'' と呼ばれる地域である。古デンマーク語では ''Himbersysel'' であり、これがキンブリ族という名称に由来する地名とされている〔Jan Katlev, ''Politikens etymologisk ordbog'', Copenhagen 2000:294; Kenneth W. Harl, ''Rome and the Barbarians'', The Teaching Company, 2004〕。グリムの法則により、インド・ヨーロッパ祖語における先頭の ''k'' が ''h'' に変化したとされる。一方、ラテン語で先頭を "C-" としたのは、ケルト人通訳がゲルマン祖語の ''h'' = をそのような発音のないラテン語に翻訳しようとしたためとされる(ケルト人が通訳したとすると、ゲルマン語の
*''Þeuðanōz'' がラテン語で ''Teutones'' すなわち「テウトネス」となったことも説明できる)。
''Cimbri'' という名称の語源は不明である。一説によると〔Vasmer, ''Russisches etymologisches Wörterbuch'', 1958, vol. 3, p. 62; Z. Gołąb, "About the connection between kinship terms and some ethnica in Slavic", ''International Journal of Slavic Linguistics and Poetics'' 25-26 (1982) 166-7.〕、インド・ヨーロッパ祖語の ''
*tḱim-ro-''(住民)が語源だとする。これは ''tḱoi-m-''(家、故郷)から派生したもので、さらに遡ると ''tḱei-''(生活する)が語源とされる(ギリシア語では 、ラテン語では ''sinō'')。すると、ゲルマン語の
*''χimbra-'' とスラブ語の ''sębrъ''(農夫)は同系ということになる(クロアチアやセルビアの ''sebar''、ロシアの ''sjabër'')。
名前が似ているため、キンブリ族と "Cymry" と自称するウェールズ人を結びつけることがあった〔C. Rawlinson, "On the Ethnography of the Cimbri", ''Journal of the Anthropological Institute of Great Britain and Ireland'' 6 (1877) 150-158.〕。しかし、"Cymry" という語はケルト語の
*''Kombroges'' から派生したもので「同胞」を意味し〔C.T. Onions and R.W. Burchfield, eds. ''The Oxford Dictionary of English Etymology'', 1966, ''s.v.'' ''Cymry''; ''Webster's Third New International Dictionary''. Springfield, MA: Merriam-Webster, 2002: 321〕、ローマ人がそれを "Cimbri" と記録したと考えるのは無理がある〔''Cambria'' は近世ラテン語である。〕。この名称は ''kimme''(外縁)という単語とも関連付けられ、「海岸の人々」を表した〔''Nordisk familjebok'' , Projekt Runeborg〕。最終的に古代以来、この名前はキンメリア人の名前とも結びつけて考えられていた〔ストラボン、『地理書』7.2.2: ポセイドニオス; シケリアのディオドロス、『歴史叢書』 5.32.4; プルタルコス、『対比列伝』 11.11〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Cimbri 」があります。




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