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カール・フリードリヒ・フォン・シュタインメッツ : ミニ英和和英辞書
カール・フリードリヒ・フォン・シュタインメッツ[かー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

カール・フリードリヒ・フォン・シュタインメッツ : ウィキペディア日本語版
カール・フリードリヒ・フォン・シュタインメッツ[かー]

カール・フリードリヒ・フォン・シュタインメッツ(、1796年12月27日アイゼナハ-1877年8月4日バート・ランデック)はプロイセン王国元帥である。
==軍歴==
カール・フリードリヒ・フォン・シュタインメッツは1806年クルム士官学校に入学した。彼の、ヨハン・ヴィルヘルム・フォン・シュタインメッツは1808年、46歳で没している。カール・フリードリヒはベルリンの士官学校に進学すると、間もなく上級下士官(Portepeeunteroffizier)に任じられた。
1813年の初め、シュタインメッツは少尉として、ルートヴィヒ・ヨルク・フォン・ヴァルテンブルク中将率いる軍団の第1歩兵連隊に配属される。そして同軍団が関わった全ての戦闘に加わり、新たに制定された鉄十字章を授与された。
1818年、彼は中尉に昇進すると1819年に第2近衛連隊へ配属される。1820年軍事学校に入学し、1824年に測量局へ転属した。1828年には大尉に昇進している。1839年少佐となり、デュッセルドルフの近衛ラントヴェーア大隊司令に任じられた。
1841年シュパンダウの近衛予備大隊も指揮下に入っている。
解放戦争以降、彼が初めて軍事的な才能を戦場で証明する機会は1848年に巡って来た。勅命により、第2(後に第32)歩兵連隊に属する2個大隊の指揮を託されたのである。これらの部隊を率い、シュタインメッツは第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争に参加する。この戦争における功績に報い、彼はプール・ル・メリット勲章を授与された。それは凱旋した大隊の観兵式において、王太子ヴィルヘルムが手ずから与えた物である。
続いてシュタインメッツは1849年中佐1851年大佐および士官候補生団(Kadettenkorps)司令、1854年少将そしてマクデブルクの司令官へと昇進を重ねる。1857年の末、ケーニヒスベルクに展開する第1師団の指揮を託された。その6か月後に中将となり、第1師団の師団長に就任する。そのまま、ケーニヒスベルクにおけるヴィルヘルム1世の戴冠式では大観兵式の指揮を務めた。1864年に第2軍団の、続いて第5軍団の司令に就任した後、6月25日に大将に任じられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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