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カルロス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス : ミニ英和和英辞書
カルロス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス[かるろす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カルロス : [かるろす]
 【名詞】 1. Carlos 2. (n) Carlos
シリア : [しりあ]
 【名詞】 1. Syria 2. (n) Syria

カルロス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス : ウィキペディア日本語版
カルロス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス[かるろす]

カルロス・マリア・デ・ボルボン=ドス・シシリアス・イ・ボルボン=パルマ(, 1938年1月16日 - 2015年10月5日)は、、カラブリア系ボルボーネ=シチリア家の家長。カラブリア公および。イタリア語名はカルロ・マリア・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ()。両シチリア王家家長の座を3代のカストロ公(ラニエーリフェルディナンドカルロ)と争っていた。
== 生涯 ==
スペイン王子およびカラブリア公アルフォンソとその妃アリシアボルボーネ=パルマ家家長エリアの四女)の長男として、ローザンヌで生まれた。1歳の時に一家はスペインへ移住した。
1948年バルセロナ伯フアン(カルロスの叔母マリア・デ・ラス・メルセデスの夫)によって選ばれ、フランシスコ・フランコの後継者として教育されることになったフアン・カルロス王子に同行し、育てられた。カルロス・マリアはフアン・カルロスの母方の従弟にあたり(2人は誕生日が10日ほどしか違わない)、また共にアルフォンソ12世の曾孫でもある。
1965年オルレアン家家長パリ伯アンリ(マリア・デ・ラス・メルセデスの従兄にあたる)の三女アンヌ(アナ)と結婚し、1男4女を儲けた。
*クリスティーナ(1966年 - ) 1994年にペドロ・ロペス=ケサーダ・イ・フェルナンデス=ウルティアと結婚
*(1967年 - ) 1996年にオーストリア大公ルドルフ大公の次男)と結婚
*(1968年 - ) カラブリア公、2001年にソフィア・ランダルーセ・イ・メルガレホと結婚
*イネス(1971年 - ) 2001年にナポリ貴族のライアーノ侯爵ミケーレ・カレッリ・パロンビと結婚
*ビクトリア(1976年 - ) 2003年にギリシャ人海運業者マルコス・ノミコスと結婚
1994年スペイン国王フアン・カルロス1世によってスペイン王子の称号を授けられた。ただし、1978年憲法が定める王位継承権者の範囲には含まれていない。
シウダー・レアルトレドに不動産を所有し、レプソルテレフォニカといった大会社の株主でもあった。また、サンティアゴ騎士団カラトラバ騎士団アルカンタラ騎士団、(全て現在はスペイン王家に属する団体)の王室委員長を務めていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カルロス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス」の詳細全文を読む




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