翻訳と辞書
Words near each other
・ カルナールの戦い
・ カルナーロ=イタリア執政府
・ カルニオディスクス
・ カルニオラ
・ カルニオーラ
・ カルニチン
・ カルニチン-3-デヒドロゲナーゼ
・ カルニチンデカルボキシラーゼ
・ カルニチン欠乏(症)
・ カルニチン欠乏性ミオパチ
カルヌントゥム
・ カルヌントム
・ カルヌール
・ カルネ
・ カルネ (映画)
・ カルネアデス
・ カルネアデスの板
・ カルネアデスの舟板
・ カルネアデスの舟板 (松本清張)
・ カルネイロ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カルヌントゥム : ウィキペディア日本語版
カルヌントゥム

カルヌントゥム(Carnuntum)はローマ帝国の重要な軍駐屯地で、現在のオーストリアに位置した。もともとはノリクム属州にあったが、紀元1世紀以降はパンノニア属州となった。ウィーンブラチスラヴァを結ぶ幹線道路の中間あたりに遺跡があり、今は「カルヌントゥム考古学公園」となっている。現在の行政区域で言えば、ニーダーエスターライヒ州のペトローネル=カルヌントゥムとバート・ドイチュ=アルテンブルクという村にまたがって広がっている。
== 歴史 ==
カルヌントゥムはローマ軍の駐屯地として始まった。その名称は碑文上は "K" で表されていることが多く、''Kar'' または ''Karn''(岩、ケアンの意)に由来している。歴史上その名前が初めて登場したのはアウグストゥスの治世下(紀元6年)で、ティベリウスマルボドゥウス討伐の遠征の基地として使用した。第15軍団アポリナリスの駐屯地となったことで、大規模なローマ化が行われた。数年後、ウィンドボナ(現ウィーン)より下流のドナウ川沿いの要塞化の中心となった。トラヤヌスおよびハドリアヌスの治世下では、カルヌントゥムが第14軍団ゲミナの恒久的駐屯地となった。
古くから、北方からもたらされたコハクイタリア方面に売る市場としても栄えた。いわゆる琥珀の道はカルヌントゥムのあたりでドナウ川を渡っていた。ハドリアヌス帝がここに都市(アエリウム・カルヌントゥム)を築き、マルクス・アウレリウスはそこでマルコマンニとの戦争中の3年間を過ごし、『自省録』の一部もそこで書いた。セプティミウス・セウェルスはパンノニア属州総督としてカルヌントゥムにいた193年、軍団兵の推挙で皇帝を僭称した。4世紀にはゲルマン人の侵入でカルヌントゥムが破壊された。ウァレンティニアヌス1世が部分的に修復したものの、かつてほどの重要拠点ではなくなり、このあたりの中心地はウィンドボナに移った。中世になるとハンガリー人がカルヌントゥムを完全に破壊した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カルヌントゥム」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.