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カタリナ・ゲルボルト : ミニ英和和英辞書
カタリナ・ゲルボルト
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


カタリナ・ゲルボルト : ウィキペディア日本語版
カタリナ・ゲルボルト

カタリナ・アレクサンドロヴナ・ゲルボルト (, , 1989年3月28日 - ) は、ロシア女性フィギュアスケート選手(ペア、女子シングル)。パートナーはアレクサンドル・エンベルト
2009年欧州選手権6位、2010-2011シーズンからペアに転向。
== 経歴 ==
1989年に当時のソビエト連邦レニングラードで生まれる。ドイツ系ロシア人の両親がカタリナ・ビットのファンだったため、ロシア風のエカテリーナではなくドイツ風のカタリナと名付けられる。
アレクセイ・ミーシンのグループに所属し、2006年には世界ジュニア選手権世界選手権のロシア代表となる。2008-2009シーズンにはグランプリシリーズに招待出場。ロシア選手権では3位。欧州選手権の出場枠は2つしか無かったが、1位のアデリナ・ソトニコワと2位のエリザベータ・トゥクタミシェワが年齢制限で出場できないために代表に選出された。大会では副鼻腔炎の治療のためのチューブを鼻につけながら演技を行い〔Khokhlova and Novitski grab lead at Europeans 〕6位となり、4位に入ったアリョーナ・レオノワと共にロシアの出場枠を「3」に増やした。
2009年春、ミーシンがエフゲニー・プルシェンコとエリザベータ・トゥクタミシェワらの指導に集中することを受けてCSKAモスクワへ移籍、2009-2010シーズンはスヴェトラーナ・ソコロフスカヤの指導を受ける。NRW杯ゴールデンスピンで初めてシニアクラス国際競技会の表彰台に立つものの、ロシア選手権では若手選手が台頭する中で9位に沈む。
2010年3月、ペア転向を試み、サンクトペテルブルクへ戻りタマラ・モスクヴィナのもとでアレクサンドル・エンベルトのペアパートナーのトライアウトを行った〔Tamara Moskvina: I am not a supporter of radical demolition goals 〕。2010-2011シーズン、ペアと組んで初めての国際大会となったニース杯で優勝。ロシア選手権で優勝したタチアナ・ボロソジャル/マキシム・トランコフ組はボロソジャルのウクライナからの移籍後1年を経過していなかった。そのため大会出場の権利を保持しておらず、4位だったが欧州選手権の代表に選出され4位入賞。
2011-2012シーズンのロシア選手権でも4位。2012-2013シーズンはスケートカナダに出場を予定していたが、靭帯を断裂し手術を行った。その影響でシーズン全ての試合を欠場した〔〕。2013-2014シーズンには試合に復帰して、ロンバルディアトロフィーで3位。ロシア選手権では7位。このシーズンをもってエンベルトとのペアを解散した〔〕。
2014年7月12日、フランス人のブライアン・ジュベールと組むことが報道された〔〕〔〕。ジュベールとはエフゲニー・プルシェンコ主催のアイスショー『スノーキング』に共に出演した。2015年2月にはオレグ・ワシリエフとの師弟関係を解消〔〕。2015年4月には新たにアンドレイ・コシツィンとの練習を始めた〔〕。しかし9月23日に競技から引退し、コーチ業を始めることを発表した〔〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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