翻訳と辞書
Words near each other
・ カゼッレ・イン・ピッタリ
・ カゼッレ・トリネーゼ
・ カゼッレ・ランディ
・ カゼッレ・ルラーニ
・ カゼトゲタナゴ
・ カゼノコ
・ カゼム・サリハニ
・ カゼルタ
・ カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョ邸宅群
・ カゼルターナFC
カゼルタ宮殿
・ カゼルタ県
・ カゼルタ=アヴェルサ線
・ カゼレッテ
・ カゼ・ネット
・ カソグサ
・ カソック
・ カソナード
・ カソビッツ
・ カソモルフィン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カゼルタ宮殿 : ミニ英和和英辞書
カゼルタ宮殿[かぜるたきゅうでん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

宮殿 : [きゅうでん]
 【名詞】 1. palace 
殿 : [どの, との]
 【名詞】 1. (pol) person 2. Mister (mostly in addressing someone on an envelope) 3. Mr 

カゼルタ宮殿 : ウィキペディア日本語版
カゼルタ宮殿[かぜるたきゅうでん]

カゼルタ宮殿()は、イタリア共和国カンパニア州カゼルタにある宮殿18世紀後半に、ナポリ王国ブルボン朝)の王によって建設された。18世紀にヨーロッパで建てられた中で最も巨大な宮殿といわれる。
1997年ヴァンヴィテッリの水道橋サン・レウチョの邸宅群と共にUNESCO世界遺産に登録された。
== 歴史 ==
宮殿の建設は、1752年にナポリ王カルロ7世(後のスペインカルロス3世)の命令で、お抱え建築家ルイージ・ヴァンヴィテッリ指揮の下に始められた。カルロ7世はヴァンヴィテッリの作った宮殿の模型を見て『胸から心臓を引き裂かれるような』深い感動を覚えたという。結局、カルロ7世は宮殿で寝泊まりすることのないまま1759年にスペイン王位に就き、建設が終わったのは三男フェルディナンド4世(のちの両シチリアフェルディナンド1世)の代になってからだった。
ヴァンヴィテッリが政治的にも社会的にも宮殿の理想としたのは、ヴェルサイユ宮殿だったが、多様性と性質に注目すべき違いがあった。格調高い付属した自然のバロック風の眺めに面して、小さな都市の社会的建築物を伴うどっしりとした建物の中に宮廷と官公庁を入れ、王のために供給される物と集められる物との似たような問題を解いたのである。
カルロ7世が育ったマドリード王宮フェリペ5世のためフィリッポ・ユヴァーラによって、シャルロッテンブルク宮殿をモデルに考案された。広々とした八角形の玄関は、ヴェネツィアにあるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂に触発されたように思える(聖堂内のパラティン礼拝堂が、しばしばロベール・ド・コット作ヴェルサイユ宮の王室礼拝堂と比較される)。
宮殿建設の動機は、カゼルタに王国の新たな行政上の壮麗な首都を築くことにあり、海からの宮廷への攻撃を避ける狙いがあった。カルロ7世はカゼルタ宮に劇場、巨大図書館、大学を作ることを決めた。
ルイージ・ヴァンヴィテッリは1773年に死去し、建設は息子カルロ・ヴァンヴィテッリが引き継いで1780年に完成した。完成したとき、宮殿は1200部屋と24の国の庁舎、のちにナポリサン・カルロ劇場がモデルとしたという付属劇場があった。
カゼルタ・ヴェッキアの人口は、新宮殿を中心として10キロメートル四方に広がった。サン・レウチョでは絹織物の繊維工場が隆盛を極め、現在工場は展示館となっている。
20キロメートルの長さがある大通りは、ナポリと宮殿をつなぐためのものだったと言われている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カゼルタ宮殿」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.