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カセリーヌ峠の戦い : ミニ英和和英辞書
カセリーヌ峠の戦い[かせりーぬとうげのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [とうげ]
  1. (n,n-suf) ridge 2. (mountain) pass 3. difficult part 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

カセリーヌ峠の戦い : ウィキペディア日本語版
カセリーヌ峠の戦い[かせりーぬとうげのたたかい]

カセリーヌ峠の戦い()は第二次世界大戦中、チュニジアで行われた戦いであり、それはカセリーヌ峠(チュニジアを中部から西部へそびえるアトラス山脈にある幅2kmの隙間であった)の周辺で行われた一連の戦いを含んでいる。
この戦いに参加した枢軸軍ナチス・ドイツ元帥エルヴィン・ロンメルに率いられたドイツ・イタリア装甲軍とドイツ第5装甲軍(2個師団)であった。対する連合軍はイギリス第1軍(司令官ケニス・アンダーソン中将、Kenneth Anderson)であったが、大部分がアメリカ軍第II軍団(司令官ロイド・フリーデンダール少将、Lloyd Fredendall)であった。
この戦いは第二次世界大戦における初のナチス・ドイツ、アメリカの激突であったが、経験不足であったアメリカ軍は多数の損害を被り、総崩れとなってファイド峠(Faid Pass)の西、80kmまで押し戻された。このため、アメリカ軍は小規模部隊の指揮官まで入れ替えるなどの大規模な対策を行った。そのため、アメリカ軍がその数週間後にドイツ軍と再戦した時、アメリカ軍はより効率的に行動することが可能となっていた。
==背景==
エル・アラメインの戦いで敗れた枢軸軍がリビア撤退する中、主導権を奪った連合軍は1942年11月8日、トーチ作戦を発動、北アフリカから枢軸軍を追い出すべく、アメリカ、イギリス両軍は仏領モロッコ仏領アルジェリアの海岸に上陸、現地ヴィシー・フランス軍との多少の小競り合いはあったものの、成功を収めた。これにより、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーはヴィシーフランス領の占領を決定、ヴィシーは終焉を迎えることになった。このため、フランス領であるチュニジア・アルジェリアは一気に不安定状況に陥った。さらに2方面における戦いを危惧したドイツ、イタリア両軍はシチリア島より、北アフリカで防衛が比較的容易なチュニジアを押さえるための部隊を夜間に輸送した。これに対し、連合軍はチュニジアに最も近いマルタ島イギリス空軍基地が320km以上、離れていたため、空軍による攻撃が不可能であり、このシチリア島-チュニジアの枢軸軍の輸送路を遮断することは連合軍の海軍にとって困難なものであった。しかし、トーチ作戦が行われ、連合軍の戦力が増強されるにつれ、空軍が行動を行えるようになっていった。
そして、アルジェリア東部とチュニジアで飛行場が構築され、空軍の活動は活発化、チュニスビゼルトにおける枢軸軍の部隊と軍需品の輸送を遮断、作戦は成功したが、枢軸軍はすでに大規模な部隊を輸送し終えた後であった。
ドイツ軍が戦力増強を行う前に、チュニスを包囲する作戦が1942年11月、12月に行われた。しかし道路と鉄道などのインフラ設備が整っていないため、比較的小規模な部隊が輸送されたにすぎず、ドイツ国防軍イタリア軍は防衛に有利な地点を確保していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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